目が覚めると、僕は車椅子に乗っていた。場所は分からないが、周囲を見渡すと清潔な床や壁が目に入り、どこかの建物の中だということは分かった。
最初こそ状況が分からず、軽くパニックを起こしたりもしたが、僕は数分と経たず落ち着きを取り戻した。スーツを着た美人のお姉さんが宥めてくれたのと、何故か尻の穴がヒリヒリと痛み、足腰が立たずロクに暴れられなかったおかげだ。

宇野「もう大丈夫です。悪夢は全て終わりましたから」

お姉さんはまた、これから家族に会わせてあげます、と言って車椅子を押してくれた。悪夢、とはいったい何のことだろうか。僕はあの時から今までどれだけの時間が経ち、何が起こったのかを全く覚えていなかった。
不安になった僕は、お姉さんに問いかけてみる。しかし、

宇野「覚えていないなら、無理に思い出す必要はありません。無謀な好奇心は後悔しか生みませんよ」

とだけ答えて、それっきり黙ってしまった。エレベーターに乗り、3階から1階へと降りる。そうは言われても、やっぱり気になるし、それにせっかく美人と二人きりなのに無言でいるのは勿体無い気がして、

男子高校生「あ、あの」

なおも話しかけようとしたが、

宇野「あなたが幸福に暮らす為に役に立つ情報を、私は持っていません。私への質問は無意味です」

とぴしゃりと遮られてしまった。それっきり会話が始まることはなく、僕は車椅子を押されるがままに黙して、目的地へと運ばれた。
建物から出ると、外はもう夕暮れ時だった。随分久しぶりに感じる太陽に見惚れる暇もなく、車椅子はどんどん進み、建物からかなり離れた林の中へと入っていく。少し開けた場所まで進むと、着きました、と言ってお姉さんは歩みを止めた。ここが待ち合わせ場所のようだ。
随分と一目につきにくい場所に来たな、と思っていると、左手側の奥にベンチを見つけた。ベンチには白衣を着た女性と、黒布に全身を包んだ謎の人間が座っている。どうやらこちらをジッと眺めているようで、酷く不気味だ。

男子高校生「お、お姉さん! あれ、あの人達、一体何者なんですかっ」

宇野「あれはあなたを助けてくれた人達ですよ。特に黒い方の人は、身体を張ってあなたを救ったんです。一応、感謝してあげて下さい」

男子高校生「え、えええ?」

僕の身に、一体なにがあったんだよ。真実を知りたい衝動がもはや臨海に達し、問い詰めようと後ろを振り向く。すると、お姉さんの体の向こうから見知った顔が3人、歩いてくるのが見えた。

宇野「来たみたいですね」

お姉さんが車椅子を半回転させ、僕は家族と向かい合う。父と、母と、妹の3人。僕を引き取りに来た、ということだろう。5歩程離れた距離で、僕は家族と対面した。

男子高校生「あ......ひ、久しぶり......なのかな?」

ハッ、と驚いたように目を見開く両親と、無理矢理連れてこられたのか、両親の一歩後ろで不機嫌な顔をしている妹へと。へたな愛想笑いをつくり、手の平を見せて振ってみる。
何を言えばいいのかも、今日の日付も分からないまま言葉を絞り出したのだが、向こうから言葉は返ってこない。数秒の無言の時が流れ、『外した』感が僕の胸を締め付ける。

男子高校生(ああ、これだ。この、合わない感じ。コミュニケーションも上手く取れない異物野郎扱いの、この窮屈感)

沈黙がいたたまれなくて、思わず顔を伏せてしまった。そして僕は、帰ることを望まれていない場所に、また戻ってきてしまったのだと実感した。

男子高校生(そうだよね、僕は期待はずれの失敗作だもんね。出来損ないの僕の為に、足を運ばせてしまってごめんなさいね。帰ってきちゃってごめんなさいね)

長年積み重ねた卑屈なコンプレックスが、ぶり返した。
居場所がない、認められていない、必要とされていない、愛されていない、自分が嫌いな自分の姿をまた見せつけられて。激しい動悸に襲われかけた、その時に、

母「雄一......雄一、雄一! ああ、良かった! もう帰ってこれないかと思った! も、もう元に戻れないと思って、母さん怖かったよぉ! でも良かったよぉ帰ってきてくれて......!」

母が、僕の両肩の奥に手を回し、涙声で抱きついてきた。車椅子に座る僕に合わせた為に、すがりつくような不安定な姿勢でもたれかかっている。

男子高校生「え、なに? え? え?」

予想外の母の行動に、その意味が分からず狼狽していると、父も近づいてきて口を開いた。

父「雄一......怪我は、していないか? どこか痛いところはあるか?」

男子高校生「え?......べ、別にない、けど......え?」

父「そうか......そうか。お前が無事なら、父さんもうそれだけで十分だよ。無事で良かったな雄一......よく、頑張ったなぁ」

そう言って、父さんは僕の頭にポンと手を乗せ、そのまま優しく髪をかき撫ぜる。

男子高校生(なんだよ......これ。どういうつもりなんだよ)

突然優しく接してきた両親の行動に、僕は喜びよりもむしろ、理解が出来ないことへの不安に苛まれた。両親の意図が分からなかったからだ。

男子高校生(なんで急に、こんな優しくするんだよ。......もしかして、世間体を気にして、子を案じる親の演技をしているのか? それとも、僕が死なないと保険金が入らないから、それで安心したって喜んでいるのか?)

僕を抱きしめて咽び泣く母に、頭を撫でる父。良かった、安心した、と何度も呟く両親に囲まれながら、僕は困惑と動揺と不安の中でそう邪推した。......だが、次第に。

男子高校生(ああ、でも......頭を撫でられたのなんて、いつ以来だろう。誰かに抱きしめられた記憶なんて、小学校にあがった頃にはもうなかったよな)

言葉、だけではなく、身体の触れ合いによる安心感が、僕の猜疑心を溶かしていった。そんなことよりも、身を案じられたことが、嬉しかった。無事を喜んでもらえたことが、嬉しかった。

自分の為に誰かが泣いてくれたことが、たまらなく嬉しかった。

そうしてしばらくすると、頃合いを見計らっていたらしいお姉さんが、父と母に声をかけた。

宇野「御両親様、少しだけお時間をいただいても構いませんか?」

今回の事件の説明をしたいので、少しの間建物の中で話をさせて欲しい、と。お姉さんの言葉に、父も母も頷いた。何が起こったか、何が原因だったのかを知りたいと思うのは自然なことだ。
当然、僕だって何があったのか知っておきたい。僕の部屋に現れた野獣先輩は何者だったのか、何故僕が狙われたのか、意識を失っている間のこと、知りたいことは山程あった。
しかし、僕の同行への願いはお姉さんと両親に拒否された。

父「お前は琴美とここで待ってなさい」

母「待っててね。帰ったら好きな料理作ってあげるからね」

そう言い残して、両親はお姉さんに連れられて、建物へと向かっていった。知らなくていいことは知る必要はない、ということなのだろう。

妹「......構ってもらえてよかったじゃない。家族に心配かけるだけかけて、戻ってきただけで泣いて喜んでもらって、チヤホヤされて満足した? これで気は済んだの?」

二人きりになると、黙り込んでいた妹がようやく口を開いた。腕を組み、仁王立ちで車椅子の僕を見下ろす妹の顔は、先程よりずっと不機嫌に歪んでいる。

男子高校生「......怒るのも無理ないよな。ごめんな、時間とらせて」

妹「はぁ?」

男子高校生「琴美は、父さん達に無理矢理連れてこられたんだろ? 家族一緒で迎えに行かなきゃ、とか言われてさ。そりゃ不機嫌にもなるよな」

妹「......ッ」

男子高校生「お前の言った通りだよ。俺、こんなに心配かけて、迷惑かけて、母さんまで泣かしちゃってさ。本当は、申し訳ないって思わなきゃいけないんだろうけど......でも、それでも俺、今さ。泣いて喜んでもらって、チヤホヤされたことが嬉しくてたまらないんだよ」

妹「あんた......」

男子高校生「俺は、俺が思ってた程、邪魔じゃなかったのかなって。嫌われてなかったのかなって、思えて、それが嬉しかったんだ」

妹「あんた! ふざけんのも大概にしなさいよ!」

思いの丈を吐露していると、妹が突然、俺の胸倉を掴んだ。近づけられた妹の顔には、怒りの色が浮かんでいる。

男子高校生「な、なんだよ、急に!」

妹「私が無理矢理連れてこられた? 家族に嫌われてると思った? ふっざけんなよ、どこまで被害妄想こじらせりゃ気が済むのよあんたは!」

男子高校生「はぁ!?」

妹「私が今日ここに来たのは、私があんたのことを、バカ兄貴のことが心配だったからに決まってるでしょ! 親に命令されたって、来るのが嫌なら用事つくって無理矢理サボるわ!」

妹「家族に嫌われてるだの、邪魔者扱いされてるだの、勝手に決めつけて部屋に籠るようになったのはあんたが先じゃない! あんたが勝手に、私から距離を置いたんじゃない!」

妹の言葉に、先程まであった感慨の余韻は消し飛んだ。妹は今、僕を糾弾しているのだ。非はそちらにあったと、僕の味わった疎外感はただの勘違いだと、そう追い立てているのだ。

男子高校生「な、なんだよそれ、そんな訳ないだろ!」

だが、そう易々と非を認めるわけにもいかない。積み重ねた孤独な月日を、僕の勘違いで済まされてたまるか。そんなに軽いものなわけがあるか。自衛本能が働いて、脳が言い争いの為の思考に切り替わる。
真相を確かめる為には、言葉よりも行動の方がずっと重いに決まっている。こんなもの、虐めを行ったクズが、本当は仲良く遊んでいるつもりだった、の一言で真相を誤魔化そうとするのと同じではないか。

男子高校生「だってお前、昔はあんなに懐いてたくせに、どんどん俺に冷たくなっていったじゃないか! 俺のことずっとバカにしてたくせに、都合いいように被害者ぶってんのはどっちだよ!」

妹「もう私は中学生になって、あんたは高校生よ? いつまでも一緒にお風呂に入れるわけないし、接し方だって変わるわよ! そんなことも分かんない奴をバカって呼んで何が悪いこのバカ兄貴!」

断固抗議してやる、という決意が早くも弱まる。何かを言い返したいのに、何も思いつかない。僕の頭がポンコツなのか、病み上がりの弊害か。

妹「児童じゃなきゃ、親だっていちいち愛してるなんて言わないし、抱き締めたり頭撫でたりなんかしないわよ。それは冷たくなったからなんかじゃない。成長すればスキンシップが無くても、わざわざ言葉にしなくても、分かるようになるのが普通だからよ」

言葉に詰まる。何も言い返せない。それは多分、今、とんでもなく恥ずかしい図星を指されたからだ。

妹「それをあんたは......だから、気は済んだかってさっき私は聞いたのよ。いつまでも子どもみたいな駄々こねて! 勝手に殻に籠って! そのくせ嫌われる事には怯えきって! ......学校で何があったか知らないけど、それを私達にまで当てはめないでよ!」

妹「あんた、家族をなんだと思ってんのよ! 私のこと、なんだと思ってんのよ!」

胸倉を掴む妹の力が、弱々しく抜けていく。抑えていたものをこれで絞り切ったのか、あるいはこれから溢れる所なのか。妹の表情から怒りの色が失せ、浮かんだものは涙だった。

妹「嫌なことがあるなら、ちゃんと相談しなさいよ......。部屋で変なビデオ観てる暇あったら、私とちゃんと話しようよ......。一緒にゲームやろうよ......」

あんたは、私のお兄ちゃんじゃない、と。涙声はやがて嗚咽に変わり、妹は肩を震わせながらくずおれ、僕の膝の間に顔を埋めた。
泣きじゃくる妹の頭を撫でながら僕の胸に湧いた感情は、申し訳ないことに、またしても喜びだった。

男子高校生「そっか......ごめんなぁ琴美。俺が、お兄ちゃんが、馬鹿だったみたいだ......」

僕が欲しくて欲しくてたまらなかったものは、すぐ近くにあったのだ。真心や、親愛の情、人との繋がり。学校で傷つけられた自尊心と劣等感ばかりを気にする内に、いつしか見えなくなっていたもの。

男子高校生「気づかなかったなぁ......。俺は、 本当はこんなに、恵まれてたんだなぁ......」

父と母に会ったら、今までのことを謝ろう。今までに思っていたことも全部話そう。そうして家族との関係を元に戻して、今度こそ人生をやり直そう。ホモビも、殻に籠る部屋も、僕にはもう必要ない。

自分を心に留めてくれる人がいる、ただそれだけで、頑張ろうとする意欲は湧くのだと。頬を涙で濡らしながら、僕は静かに悟った。



彡(゚)(゚)「いい年こいた兄ちゃんが、女子中学生の顔を股の間に挟みながらワンワン号泣しとるぞ。どんな地獄絵図やねん」

coat博士「あのやりとりのどこを見てそう思ったんだ。感動的な兄弟愛の姿だろうが」

彡(゚)(゚)「ワイの童貞奪ったホモ野郎の泣き顔なんか見たくもないわ。こんなもん見せる為にわざわざ布きれ着せて、ここまで連れてきたんか」

ババアに連れられて林の中のベンチに座らされると、待っていたのは車椅子に乗ったホモ野郎の姿だった。

coat博士「ああ。お前が救った人間の姿を、お前自身に見せてやりたくてな」

彡(゚)(゚)「ふん。こんなくっさいモン見せられた所でワイの気持ちは変わらんわ。いいからはよ、ワイが降りることを認めろや」

coat博士「そう結論を急ぐこともないだろう。せっかく世界を救ったヒーローになれたというのに」

彡(゚)(゚)「あん? 世界? ヒーロー?」

coat博士「そうだ。世界とは、何も地球や人間社会全てを表す言葉ではない。一人の人間の意識が生み出す景色や価値観......ようするに『心』もまた、一つの世界と言える。地球上に70億の人間の心があるのなら、同時に70億通りの人間の世界がある、ということだ」

coat博士「そしてヒーローとは、誰かの世界、すなわち心を救う者のことを指す。現状を打破し、危機を救い、この世にはまだ希望があると誰かに思わせた人間は、救われた者達にとってのヒーローになれる。あの少年とその家族にとってのヒーローが、今まさにお前なんだ」

彡(゚)(゚)「......。」

coat博士「ヒーローの本質は身体的な危機を救うことよりも、心の危機を救うことにある。
肉体が滅べば、その人の心も消失してしまう。だからTVの中のヒーローは、いつだって命懸けで誰かの命を守るんだ。
いくら肉体が元気でも、この世に飽いて絶望してしまえば、その人の心はやがて腐って死んでしまう。だからヒーローは、人々に面白いドラマを見せることによって、TVの向こうの視聴者の心を救うんだ。超人的な能力やカッコいい変身ベルトは、その為の道具であって本質ではない」

coat博士「試合に勝って欲しいという願いを叶え、子どもに将来の夢を与える野球選手も、もちろんヒーローの姿そのものだ。規模こそまだまだ小さいが、お前はTVの中のヒーロー達と同質の存在になれたんだぞ? そのことを、嬉しいとは思わないのか?」

彡(゚)(゚)「こんな汚ったない仕事させられる奴がヒーローやと? アホ抜かせや」

coat博士「ヒーローの仕事は元々汚いものさ。TVの中のヒーローは、子供達に汚い映像を見せられないので、綺麗な部分だけを切り取って放送しているからな。倒した敵の死骸が、都合よく爆発するのなんて良い例だ」

彡(゚)(゚)「......それに、いくらワイが糞まみれになってアイツをお腹いっぱいにしてやっても、ワイの腹はちっとも満たされんぞ」

coat博士「そんなことは無いさ。ヒーローにだってちゃんと......ん?」

ババアが言いかけた所で、ベンチの前まで女子中学生が駆けてきた。ワイらに気づいていたのか。

妹「あ、あの、お兄ちゃんに、お兄ちゃんを助けてくれたのがあなた達だって聞いて、お礼を言わなきゃと思って来たん、ですけど、」

ホモ野郎の妹の目元は赤く腫れ、鼻水が詰まったのか、非常に話し辛そうな様子だ。もう少し落ち着いてから来ればいいものを、どうやら相当テンパっているようだ。

coat博士「うん。うん。お礼を言うのは良いことだな。だがその前に少し落ち着こうな。ほら、ティッシュを上げるからとりあえず諸々拭きなさい」

ババアに渡されたティッシュで涙の跡を拭き、ズビーッと盛大に鼻を鳴らす。そして目を瞑って深呼吸すると、ようやく妹も落ち着きを取り戻した。

妹「......すいません。やっと落ち着きました。これ、必ず洗って返しますね」

coat博士「いやそんなもん洗って返されても困るから、どっかに捨ててくれ。ハンカチじゃないんだから」

どうやらまだテンパっているようだ。

妹「あっ、すいません間違えました! ......ああっ、お兄ちゃん連れて来るの忘れてた! すいませんすぐ取りに戻ります!」

彡(゚)(゚)「いらんいらんいらん! あいつの顔なんてもう見たくないから、連れてこなくていい! 余計な気遣いはやめろ!」

妹「え、ええっ、そうなんですか? ......あの、じゃあ、ええと、何しに来たんだっけ私?」

coat博士「......先程、礼をしにきたと言っていたな」

妹「そ、そうでした! あ、あの、この度は兄を助けていただき、本当にありがとうございます! このご恩は一生忘れません!」

彡(゚)(゚)「......ふん、言葉だけならどうとでも言えるわ。本当に感謝してるってんなら、行動で示してくれてもええんやないか?」

coat博士「おい、お前何を言い出すつもりだ」

彡(•)(•)「ワイはなぁ、お前の兄ちゃん助ける為に泥被ってんやで? その礼をしたいってんなら、お前もお前の花を差し出すくらいの覚悟、見せるべきとちゃうか?」

妹「え? え? 花って、あの花のことですか? ええと......ええと......あ、あった!」

そう言うと妹は、何を勘違いしたのか近くに生えていた木の枝を折り、ワイの元まで持ってきた。枝の先には、五つの白い花弁に囲まれた中心に、長い黄色のおしべが数十本と並ぶ花がついていた。

妹「ど、どうぞ! 受け取ってください!」

彡(゚)(゚)(こいつ、花を差し出せと言われて、そのまんま花持ってきおった。ワイの言い方が悪かったんか? それともこいつがガイジなんか?)

coat博士「......ふふっ、夕方なのにまだ咲いているのがあったか。この花の名は夏椿、平家物語でお馴染みの、日本における沙羅双樹だ」

coat博士「背負う花の意味は、この世の無情。これは一日花である為につけられたものだが、花言葉として『愛らしい人』というものもある」

coat博士「いい花を、どうもありがとう。ほら、お前も早く受け取りなさい」

ババアに急かされ、ワイは渋々、花を手に取る。受け取ってもらえて安心したのか、妹の顔がパァと晴れ、

妹「本当に本当に、お兄ちゃんを助けてくれて、ありがとう!」

先程まで泣いていたのを忘れたかのような、それはそれは満面の笑顔で、妹は感謝の言葉を口にした。その顔に、その言葉に、一切の打算や他意が無いのは流石のワイにも伝わり。

彡(゚)(゚)「お、おう。ちゃんと感謝してるなら、それでええんや」

無邪気なその面を汚してやる、といった荒んだ気分が削がれ、ワイは思わずたじろいだ。

coat博士「ほら、いつまでも兄を放ったらかしにするのも悪かろう。お礼はもういいから、兄を連れて建物の入り口にでも向かいな。そろそろ、向こうの話も終わる頃だろう」

妹「あ、そ、そうですね! どうもありがとうございました! それじゃあ、また!」

ペコリと一礼すると、妹は兄の元へと帰っていった。妹が何事かを兄に話すと、兄もこちらへむけて頭を下げる。そしてそのまま、妹が車椅子を押していき、二人は林の向こうへと消えていった。

彡(゚)(゚)「.........。」

ベンチにババアと二人残されながら、ワイは受け取った花を、しばらくジッと眺めた。

coat博士「......随分と気に入ったみたいじゃないか。お望みの『花』ではなかったんじゃないのか?」

彡(゚)(゚)「......そうやな。そうなんや......これは、ワイが欲しかったもんじゃ、ないんや。なのに、なのに、なんでやろなぁ......」

脳裏に浮かぶ、あの妹の笑顔。耳の中でいつまでも反響する、ありがとう、という言葉。花を受け取った時の、指と指が触れ合った僅かな感触。花を眺めていると、それらがずっと鮮明に思い出させられ、

彡(゚)(;)「なんでやろなぁ。なんで、こんなもんで涙なんか、出てくるんやろなぁ」

不思議と、視界が滲んだ。

coat博士「それは、それがお前の本当に欲しいものだからだよ、バカ息子」

彡(゚)(;)「は、はぁ? アホ抜かせ、ワイが欲しいのは、美味い飯と、酒と、女と、金や。こ、こんな下らないもんなんかや、ないわ......」

coat博士「お前が自覚している自分の欲望は、表層に表れた上辺の意識でしかない。お前も意識の底の底の本心では、欲望と悦楽よりも、真心や親愛を望む願望の方が強いのだろう」

coat博士「その感情はヒーローとして、人としてとても、とても大切なものだ。その花を美しいと、嬉しいと思える内はお前は大丈夫だよ。......今のお前は少しだけ、心が疲れているだけさ。少し遊んで、少し休んで、朝日が登ればきっと気分も良くなるから」

そろそろ行くか、言うと、ババアはベンチから立ち上がり、グッと背筋を伸ばした。そして後ろに座るワイへ振り返って言った。

coat博士「その花、大事にしておけよ。それが、それこそが、ヒーローの報酬なんだからな」

彡(゚)(;)「ヒーローの......報酬?」

coat博士「ああ、そうだ。まぁいずれお前にも分かる日がくるさ。ほれ、いつまでも座ってないで、早く立て。置いていくぞ?」

彡(゚)(;)「いくって、どこに行くんや?」

coat博士「ヒーローにも休息が必要だろ?」

ババアはニッと笑いながら、言葉を続けた。

coat博士「特別に許可を貰って、もう閉館時間が過ぎた市ヶ谷記念館の中を、貸し切りで見学出来るよう手配した」

彡(゚)(゚)「おおっ!」

coat博士「さぁ原住民も待っているんだ、早く行くぞ。たまには......水入らずで遊ぶのも、そう悪くないだろう?」



〜ガン掘リア宮殿〜
深夜の集会を終え、解散となった会議室の中で。野獣は、始まりのホモに話を切り出した。

野獣先輩「KBSトリオは今日もサボりですか。......舐められてるんですかね」

始まりのホモ「いやぁ元々彼らは、人の話を聞けるほど賢くないんですよ。大して重要な人材じゃないですし、放っておけばいいんじゃないですか?」

野獣先輩「そう......ですね。そうかも知れません」

始まりのホモ「そんなことより、見てくださいよMURさんの姿を。あれ、僕のお手柄なんですからね。褒めてください」

始まりのホモはそう言うと、会議室の端でKMRと雑談をするMURへと指を向けた。

KMR「あっ、それエロ本じゃないですか! 買ってきたんですか!?」

MUR「そうだよ、河原に落ちてるの拾ってきたんだよ。お前も見たいか?」

KMR「な、なんで見る必要なんかあるんですか」

MUR「そんなこと言って、さっきからチラチラ見てただろ。......見たけりゃ見せてやるよ」

KMR「ありがとうございます......」

その姿は、完璧にMURそのものだった。

始まりのホモ「もっと早く僕に言ってくれればよかったのに。田所さんも人が悪いなぁ」

野獣先輩「......少し、事情がありましてね」

始まりのホモ「そうですかそうですか。まぁ、事情は人それぞれですもんね」

大して気にする素振りも見せず、始まりのホモはうんうんと頷く。
始まりのホモはしばし間を置くと、じゃあ僕もそろそろ行きますね、と言って踵を返し、出口のドアへと向かう。そしてドアノブに手をかけた所で、こちらへ振り向いて言った。

始まりのホモ「あ、そうそう。ホモガキ達の『アレ』、ようやく100人集まりそうですよ。大体あと三日、ってとこですかね」

野獣先輩「そうですか。では、ぼちぼちこちらも準備を整えておきます」

始まりのホモ「うふふ、楽しみですね。それでは田所さん、良い夜を」

そう言い残し、始まりのホモは今度こそ、ドアの向こうへと消えていった。

野獣先輩「あと、三日か」

ドアを見つめながら、野獣は一人呟く。何か物憂い気なその目の脇で、MURとKMRがなおも会話を続けているのが見えた。

MUR「あぁ〜いいゾーこれ」

KMR「ンッ!ンッー、ンッー!」

MUR「こんなとこ見られたら、また妻と娘に怒られちまうかもなー」

野獣先輩「っ!?」

KMR「ンンー、オホッ!......え? MURさんって、奥さんいたんですか? 初耳ですよ?」

MUR「あ? いるわけないだろ、何言ってんだお前」

KMR「ええ、MURさんが言い出したんじゃないですか」

MUR「おっ? そうだったか?」

野獣先輩(馬鹿な! 家族の名前を、覚えていたというのか!? あの思念の濁流に押し流されてなお、ほんの僅かな記憶の断片だけでも残したというのか!)

いったいそれは、どれだけの意志の強さと幸運が必要なことだろうか。驚愕に目を見開いて、野獣はMURをまじまじと見つめる。

KMR「もう、冗談も大概にしてよ。そもそもMURさん、彼女だってロクに出来てないくせに」

MUR「なんだとおいKMRァ! お前だって彼女いねぇだろお前よぉ」

KMR「やめてくれよ......」

野獣先輩「......。」

驚くべきことではあるが、いざ事が起こってしまえば、それはそこまで理不尽なことでは無いのかも知れない。思念の集合体である概念体は、数千数万の人間のイメージによって型どられる。
だがそのイメージのほとんどは、信念や心の強さとは縁遠いホモガキ共によるもの。膨大な量ではあるが、一人一人の思念を取ってみれば酷く薄っぺらい思念だ。
そこにMUR個人が抱く強烈な意志の力が加われば、僅かにではあるが、思念の集合体に『異物』を混入する余地はあったのかも知れない。ほとんど不可能なことではあるが。

野獣先輩「......。」

完全な0と、0.00001%は大きく異なる。あの概念体にMURの意志が僅かにでも残っているならば、奴の意識が戻ってきてしまう可能性も、限りなく小さくはあるが、確かに生まれてしまった。

野獣先輩「だが、始まりのホモに報告する気にもならんな」

この事を教えれば、奴はまた嬉々として『概念の卵』をMURに植え付けることだろう。野獣としても、不確定要素は出来るだけ取り除いておきたいのが本音だ。
しかし、それでも、どうしても。これ以上MURをどうにかしようとする気は、微塵も起きなかった。もう、そっとしておいてやりたかった。

そう思わせた理由は、概念に必死に抗っていたMURへの憐憫と、変わり果てたMURの姿の痛ましさが。そして何よりも、MURへの畏敬の念が強かった。

野獣先輩「安心しろよ、MUR。約束は必ず守る。計画が全部終わったら、必ず家族の元に帰してやるからな」

固い口調で一人呟くと、野獣は始まりのホモが去ったドアを、鋭い眼光で睨みつけた。