私には昔、ひとつ年下の妹がいた。大人しく、虫にも殺されそうな少女で、私に良く懐いていたことを覚えている。
身体も気も弱かった妹は、乱暴な男子には格好の的だったのだろう。学校で髪を引っ掴まれている彼女を、私が助ける。そういった場面は、小学校の頃に何度もあった。
妹を守る時、私には善も正義も、家族愛も関係無かった。妹が虐められていれば、助ける。それが姉として当然の義務だと思っていた。義務感だけが、いつも私を突き動かした。
だから、妹自身の内面というものに、私はあまり目を向けていなかった。それがいけなかったのかも知れない。

自らを虐めるクラスメイト、たまに現れてはそれを助ける姉、そして己自身。それらがいったい、彼女の心にどのような影響を与えたのか。
確かな原因は分からないが、妹はいつの頃からか女の子らしい可愛さや、男の子のようにヒーローや正義の味方に憧れるでもなく......TVの中の怪獣に、憧れるようになった。

??「ゴジラってさ、格好良いよね。人も、建物も、みんな壊しちゃうんだから」

嬉しそうに語る妹に、私はどう言葉をかけるべきかいつも悩んだ。妹が怪獣、とりわけゴジラに憧れる理由が、どっちともつかなかったからだ。
憧れる理由は、強くて巨大な生物に憧れる、子供らしい単純な思考からなのか。それとも、心に何か破滅願望を飼っているからなのか、と。

宇野「怪獣だって、そんなに大したことないわよ。一番強い怪獣のゴジラだって、最期には人間に殺されちゃうんだから」

妹の無類の怪獣好きを「危ない」と思った私は、ある時彼女を諭そうと考えた。他の女の子のように、とまで高望みはしないが、せめて普通の男子のように健全に、ヒーローに憧れて欲しかった。

??「倒されたっていいんだよ! だってカッコいいもん!」

??「私も、大きくなったら怪獣になりたい!」

しかし、妹の怪獣好きは筋金入りだった。

宇野「どこまで大きくなるつもりよ、あんた」

??「とにかく大っきくだよ! それでね、私が街で大暴れしてね、みんなに怖がられてね、それで、お姉ちゃんが私を倒しに来るの!」

宇野「......なんで、そこで私が出てくるのよ」

??「当然だよ。お姉ちゃんは私のヒーローなんだから、私を倒すのは、お姉ちゃんじゃないとダメなんだ」

どうやら妹の中では、私はヒーローになっているようだ。虐めの現場に駆けつける私の姿が、妹にはヒーローに映っているのか。だとしたら、妹を虐める男子達は怪獣役か。
妹の怪獣になりたいという言葉は、虐められる側からの脱却と、男子達に復讐したい、という願望の表れなのかもな。などと考えつつ、私は妹に答える。

宇野「なによそれ。私に、芹沢博士にでもなれって言うの?」

??「私、あの人嫌い。それに芹沢はゴジラと一緒に死んじゃうじゃん。お姉ちゃんが死ぬのはダメだから、他のがいい」

宇野「他のって言ってもねぇ。相手がゴジラだったら、芹沢博士じゃないと打つ手が無いんだけど」

??「なんでもいいよ! とにかく、私が怪獣で、お姉ちゃんがヒーローなの! それで、お姉ちゃんは私をカッコ良く倒して、私は戦ってカッコ良く死ぬの! そういう風に決めたの!」

約束だよ、絶対守ってね! と、一方的に約束を押し付ける妹の要求に、私はきっぱりと拒絶の意志を示す。

宇野「姉が、妹を殺す約束なんてするわけ無いでしょ。それに、私はヒーローになんてなれやしないわよ」

そう言ってやると、妹は憤慨した様子で「なんでよ!」と迫ってくる。

宇野「だって、私は.........」
.........。
その時私は、妹になんと返したのだったか。いくら思い出そうとしても、少しも出てこない。しばらくすると、やがて私の意識は急速に薄れ......いや、覚醒していった。


〜〜〜〜
朝の5時半。懐かしい夢を見ていた私を起こしたのは、ゴジラのテーマ曲であった。メールの着信音を切り、端末を確認する。呼び出しの主は、昨日出会った少女、奈央さんであった。
そういえば、家まで送った後の別れる直前に、「何か困ったことがあったら、連絡してくれて構わない」と、連絡先を教えてあげたのを思い出した。

宇野「まさか、こんなに早いとは」

まさか昨日の今日で、もう電話がかかってくるのかと、少し辟易した気持ちになる。が、あれだけ衝撃的な出来事を体験したのだから、いても立ってもいられない気持ちも分かるなと、私は思い直した。
メールの内容もやはり、昨日の出来事はなんだったのか、彼氏はどうなったのか知りたいので、私の都合の良い時間にお話しさせて欲しい、というものだった。
私は、教えられた携帯番号へとコールする。3回着信音が鳴ると、向こうの奈央さんと繋がった。

女子高生「あっ、も、もしもし」

宇野「おはようございます、奈央さん。なにか、質問があるようですね」

女子高生「す、すいませんこんな朝早くに。起こしちゃいましたか? いや、私もマズいかなって思ってたんですけど、メールなら失礼じゃないかなって思ったし、何もしないのも落ち着かなくて、それであの、」

宇野「落ち着いてください。私の朝は早いので、全く迷惑なんてかかっていません。それより、用件は?」

女子高生「あ、はい......。その、宇野さんは、昨日のアレについて、何か知っているんですか?」

昨日のアレとは、公園にいた奈央さんの彼氏と、我修院たちのことだろう。やはり、聞きたいことというのは予想通りだった。だが、目撃者だからと言って、一般人に事のあらましをベラベラと喋るわけにはいかない。
申し訳ないが、世田谷区で何が起きているかは、今は何も話せない。その旨を伝えると、奈央さんも渋々引き下がってくれた。

宇野「説明は出来ませんが、一つ約束します。今日は休むことになると思いますが、明日になれば、あなたの彼氏も元通り学校に通うようになります。あなたの日常も、明日になれば帰ってきます」

女子高生「なんで、そんなことが分かるんですか?」

宇野「言えません。すいません」

仮に言えたとしても、彼氏がケツ穴を掘る治療を受けたなんて汚い事実を、わざわざ伝えたくはない。

女子高生「......智樹が帰ってくる、か」

奈央さんの声は、思いの他暗かった。そういえば、事件に出くわす直前の奈央さんは、彼氏と別れようとしていたらしい。事件のショックで失念していた感情を思い出し、微妙な気持ちになっているのだろうか。

宇野「......これは、余計なお世話かも知れませんが」

女子高生「? なんですか?」

宇野「彼氏が戻ってきたら、そうですね。とりあえず別れ話のことは忘れて、今まで通りに接することを勧めます」

女子高生「! そ、そうですよね! 智樹、あんな酷い目に合ったんだから、優しくしてあげないと」

宇野「いえ、彼氏の気持ちなんかどうでもいいんです。これは、あなたが自分の為に、あなたがより良い選択をする為に必要なことです」

女子高生「?」

宇野「話を聞いた限り、あなたは彼氏の人柄ではなく、接し方付き合い方に不満があったようです。日々積み重ねた不満が、昨日の朝の嫌な出来事をきっかけに爆発した。そして、今日限りで別れようと決意した」

女子高生「そ、そうです。だって智樹は野球ばっかで、一緒に過ごす時間も全然取れなくて、」

宇野「ですがその不満に対応して、彼氏はあなたをデートに誘った。もしかしたら、それをきっかけに、あなたとの接し方を改善しようとしていたのかも知れません」

女子高生「違います! 智樹が昨日私を誘ったのは、ちょっと機嫌を取ってやればそれで済むって、私の気持ちを軽く考えていたからで......!」

宇野「そうかも知れません。ですが、違うかも知れません。彼の気持ちの本当の所を、今のあなたに知る術はありません」

女子高生「私の決めつけだって言いたいんですか?」

宇野「感情で判断しない方がいい、と言っているんです。昨日の朝、彼氏が遅刻したのも、呼び出しの電話を寄越したのも、暴漢に襲われていたからです。デートの当日に雨が降った事に関しては、ただの偶然でしかありません」

宇野「少なくとも昨日、あなたの彼氏に落ち度はありませんでした。しかしあなたは、そういった本当の所を知らずに、不機嫌な感情に任せて、彼氏と別れようと決断してしまいました」

女子高生「......。」

宇野「別れるな、と言っているのではありません。ですが別れる決断を下す前に、もっと相手と話して、相談して、相手の人となりを見極めるべきです。その見極めに、不満やわだかまりといった感情は不要なものです」

宇野「相談をして、要求に応えてくれる男かどうか。互いに、今後の付き合いの改善が図れるかどうか。そして、それでも二人の時間が足りないと不満に思った時に、それを我慢出来る程、相手の事を好きなのかどうかです」

女子高生「う、うぅん......」

宇野「今回の事件のショックで、お互い小さなわだかまりなんて吹っ飛んだでしょう。時間をかけて、答えを出してみてください」

宇野「『現実的な思考』は、女が男より勝る圧倒的な長所です。感情に流されず、冷静な頭で考えてください。感情に流され続けた女の末路なんて、『無職でロクな才能も無い、ビッグな夢を追い続けるヒモ男の養分』が関の山です」

女子高生「は、はい。分かりました」

一通り、相談も済んだようだ。そろそろ切りますね、と言うと、奈央さんは最後に、

女子高生「あ、あの! ......また、なにかあったら、相談に乗ってもらってもいいですか?」

宇野「......ええ、いいですよ。いつでも出れるわけではありませんが、その時はこちらから折り返します」

「今度は喫茶店にでも行って、直接お喋りしよう」といったささやかな会話を終え、私は今度こそ電話を切った。

宇野「......ふぅ」

一人の時間に戻ると、少し疲れが寄せてきた。柄にも無く、女子生徒の恋愛相談なんかに乗ったせいだろう。

宇野「私より奈央さんの方が、よっぽど恋愛経験豊富だってのにね」

偉そうに語ったが、私には甘い青春の思い出など一つも無い。恋人、それでなくとも対等な男女の関係など、私の生涯にはまったく縁が無かった。多分、これからも無いだろう。
男に性欲を向けられること。私にとって、それこそが何にも勝る苦痛である。少女時代の体験に由来する、一種のトラウマだ。

coat博士『君は、自分が同性愛者だと言われたとして、果たして否定出来るか?』

昨日、博士にそのような話をされたのを思い出す。もしその答えを迫られたとしたら、私は多分「そうかも知れない」と答えるだろう。
女を性的な目で見たことは無いが、私に男と付き合う気が微塵も無い以上、性的対象が同性に向かう可能性は、完全には否定出来ない。

宇野「でも、奈央さんへのこれは、違うわよね」

雨に濡れ、大泣きしていた奈央さんを助けたのは、そして今、奈央さんの相談に乗ったのは。少なくとも、性的欲求からのものではない。
昔から、放っておけないのだ。泣いている女の子というのは、困っている女の子というのは。そういう姿を見ると、心の中の『義務感』が私を突き動かし、たまらなく助けたくなる。泣き虫で、弱かった妹を守っていた時代についた習性だろうか。

宇野「......やめよう。昔のことを思い出すのは」

自分の過去に、良い思い出などほとんど無い。男のことも、妹のことも、今の私には関係ない。

......十年前に死んだ妹のことなど、思い出しても仕方の無いことだ。

私は自分に言い聞かせると、身支度を整え、部屋を出た。


〜〜
30分後、coat博士の研究室に着くと、テレビを観ながら博士が呟いた。

coat博士「これはマズいな。しばらく、バカ息子達は外には出せんぞ」

何事かとテレビの画面を覗くと、そこには、『多くの日本人を載せた飛行機が、ローレンスアラビア領内で墜落した』という内容のニュースが流れていた。