《残酷な天使のように 少年よ神話になれ》

《蒼い風がいま 胸のドアを叩いても》

《私だけをただ見つめて微笑んでるあなた》

《そっとふれるものもとめることに夢中で
運命さえまだ知らない いたいけな瞳》

相田が今、初めて本物のミサトを見ている。

予想以上の大音響で音楽が鳴り響き、たちまち音がライヴハウスの空間を埋めた。

《だけどいつか気付くでしょうその背中には
遥か未来 めざすための羽根があること》

《残酷な天使のテーゼ 窓辺からやがて飛び立つ》

《ほとばしる熱いパトスで思い出を裏切るなら》

《この宇宙を抱いて輝く少年よ神話になれ》

周りの観客はいっせいに両手を挙げて、身体全体でリズムをとって跳ね始めたので、私は四方八方からしっちゃかめっちゃかに摩擦された。

相田は両手を挙げることもリズムに乗って身体を揺らすこともせず、私と同じように人に押されて体勢を崩しながらも、切羽詰まった表情で、食い入るようにミサトを見ている。

《ずっと眠ってる私の愛の揺りかご 
あなただけが 夢の使者に呼ばれる朝がくる》

彼女の歌う歌詞はよく聞き取れないけれど、この曲の明るいアップテンポや他の観客の様子からしても、こんな真剣な顔で聴くような曲ではないことは分かる。

《細い首筋を月あかりが映してる
世界中の時を止めて 閉じこめたいけど》

ヒカリはもうすでに順応して、曲も知らないはずなのに、リズムに乗って飛び跳ねていた。

首をこっくりこっくり動かしているだけの私は、授業参観に来た母親みたい。

《もしもふたり逢えたことに意味があるなら
私はそう 自由を知るためのバイブル》

周りの真似をして、手を挙げ、音に合わせて動かすけれど、私の手の動きは、周りの子たちのそれとは明らかに違う。

手にみなぎっているパワーが違う。

《残酷な天使のテーゼ 悲しみがそしてはじまる》

みんなの手は、波うちながら、ステージにぐんぐん向かっていくように動く。

突き出した両腕をメロディーに合わせて縦に振ったり、手拍子したりしながらも、手はひたすら光の真ん中にあるものを欲しがっているみたいに動いている。

《抱きしめた命のかたち
その夢に目覚めたとき》

《誰よりも光を放つ
少年よ神話になれ》

そしてみんなの手以上に、相田の目はミサトを捉えていた。

自分が消えてしまいそうになるくらい、葛城ミサトを見つめている。

《人は愛をつむぎながら歴史をつくる
女神なんてなれないまま私は生きる》

《残酷な天使のテーゼ
窓辺からやがて飛び立つ》

《ほとばしる熱いパトスで
思い出を裏切るなら》

《この宇宙を抱いて輝く
少年よ神話になれ》

音楽は一曲で早々と終わり、Gパンのおしゃれな着こなし方講座に移った。

そしてやっと、私は舞台の上のミサトを見ることができた。

やっぱりミサトは夢で見たあの人だ。

笑うとやさしくさがる眉が同じ。

でも今はとても遠くに感じる。

「これは今年の春に出た新シルエットのジーンズなんですけれど、ステッチがオレンジなところがカワイイよね。ベルト通しにベルトじゃなくバンダナを通したり~」

彼女は袖に引っ込んでは違うGパンを履いて出てきて、歓声を受け、モデルっぽくなく子供みたいにはにかみながら一回転したりして、そのGパンのよさをアピールする。

このライヴはラジオで生中継されているらしく、舞台の脇に座っている男DJが、オリチャンの話に、そのGパンは限定モデルなんだよねーなどと相槌を打つが、オリチャンは興奮してあまり彼の話を聞いていない。

華やいだ浮かれた声で、自分一人でしゃべり続けている。

そしてまた曲が始まった。

《光よ大地よ 気流よ...
悲しい記憶が化石に変わるよ もうすぐ》

《あなたのその痛 みを 眠りの森へと
ひそやかにみちびいてあげる》

舞台の背景にかかっている幕にはファッション雑誌のピンクの巨大なロゴが入っていて、その前でミサトは黒いパイプ椅子に内股気味に座り、気怠げなおしゃれな曲を歌った。

《おやすみ すべてに一途すぎた迷い子たち
はがゆさが希望に 進化する日まで》

《生命はまぶしい朝を待っている
最後の懺悔も かなわないなら》

歌の音程を外したり歌詞を忘れたりする度に、目をつむって苦しげに眉を寄せ、いかにもけなげな表情を浮かべる。

《いつか時代の夜が明ける》

《世界よまぶたを閉じて
生命は目覚めて時を紡ぎだす》

観客から『がんばれー』の声をもらうと歯を見せてニカッと笑って、その笑顔がチアガールみたいな赤と青の鮮やかなTシャツとよく似合っていた。

《あなたの証拠をさかのぼるように
そして光が胸に届く》

《心よ原始に戻れ》

つたないミサトステージを、相田は微笑み一つもらさずに見ている。

「今日は来てくれてどうもありがと。私、今回が初めてのライヴなわけですが、アー、気持ちいいね、すごく。みんな熱狂してる? してるよねー、みんなの汗のにおいがこっちの舞台までファーと流れてきてるもん、フフッ!」

彼女はくるっとDJの人に向き直った。

「応援の手紙とかもらうのは男の人の方が、多いんですよー」

でもDJの人の返事を待たず、また観客側に向き直り、

「男の人、一緒に、イエーイ!」

と叫んで元気に跳ねあがった。

ほうぼうから野太い歓声が上がって、ミサトと同じように、男ファンが飛び跳ねる。

でも相田は声も上げないし、ぴくりとも動かない。

舞台を睨むように見ながら奥歯をしっかり噛み合わせている、緊迫した顎。

そして彼のミサトを見る目つき、何か懺悔するような、哀愁漂う瞳。

伸び上がって彼の耳もとで、あんたのことなんか、ミサトはちっとも見てないよ、と囁きたくなる。

「このまま歌い続けたらいいのにな」

呻くようにして呟かれた声を、私は聞き逃さなかった。

《涙の岸でずっとたたずんだ気持ちを》

《優しくつつむように 秘密のくすりが
思い出の沖へとはこぶよ》


ミサトのMCと、合いの手の観客のハイな笑い声の合間をぬって聞こえてくる声に耳を澄ます。

「フォースインパクトを止めるために自分だけ最後まで残って突貫なんてさせない。リョウジに合わせるためにも止めて助けるんだ」

彼は起こってもいない過去を振り返りながら静かな祈りを瞳に宿している。

《おやすみ モラルに汚れていた指も耳も
この腕 のなかでもう眠 りなさい》

《生命 はまぶしい朝を待っている
破れた聖書 を抱きしめるより》

こんなにたくさんの人に囲まれた興奮の真ん中で、相田がさびしい。

彼を可哀相と思う気持ちと同じ速度で、反対側のもう一つの激情に引っぱられていく。

《いつか時代の夜が明ける
あなたよ 祈りを捨てて》

相田ケンスケの傷ついた顔を見たい。

もっとかわいそうになれ。

その時、腕を引っぱられた。

バカシンジだ。

あたしの耳に口を近づけて、

「ケンスケばっかり見てないで、ちょっとはステージも見たら?」

あきれたような、明るい声で言う。

顔を見ると、笑っている。

また何か言った。

《生命 は目覚めて 時を紡ぎだす
自然のルールにその身をまかせ》

《そして光が胸に届く 心よ原始に戻れ》

でも音が大きくて聞こえない、首を振ると、また私の耳に口を近づけて、はっきりと言った。

「アスカは、ケンスケのことが本当に好きなんだねっ」

バカシンジは感動しているようで、照れたようにあたしの肩を勢いよく叩いた。

《生命 はまぶしい朝を待っている
最後の懺悔も かなわないなら》

《いつか時代の夜が明ける
世界よまぶたを閉じて》

《生命は目覚めて 時を紡ぎだす
あなたの証拠 を さかのぼるように》

《そして光が胸に届く 心よ原始に戻れ》

アンコールの曲がすべて終わって外に出ると、すっかり夜になっていた。

今まで同じ箱の中で熱狂していたみんなが、まるきり他人の顔をして颯爽とライヴハウスを去っていく。

「私、あのミサトていう人知らなかったけど、けっこう楽しめた」

ヒカリは後れ毛がはみ出しすぎたポニーテールをくくり直しながら、ミサトが歌った曲をハミングしている。

あたしはさっきまで途切れず鳴り響いていた数々の曲を、一つも思い出せない。

「みんな駅に向かってるな」

「この流れに乗って一緒に歩こうよ、お祭りみたいで楽しいし」

鈴原とバカシンジはそう言ったが、大半の人が駅へ続く道に流れていくのに対して、なぜか小走りでライヴハウスの裏側に走っていく人たちが、あたしたちの前を通った。

一組ではなく、いくつかのグループがきゃーきゃー言いながら、裏へと流れていく。

「あの人たち、何なんだろうね。忘れ物でもしたのかな?」

放心気味のあたしは、なんの返事も返せなくて、その人たちをただ眺めた。

「……違う、忘れ物じゃない。そうだ、あいつらは楽屋口に行くんだ。楽屋口に行って、ミサトさんを出待ちするんだ」

相田は呟いたかと思うと、その子たちを追いかけてすごい速さで走り出した。

考える間もなく、私の身体は勝手に、彼の背中を追いかける。

「ちょっと、アスカ」

ヒカリが叫ぶが、足は止まらない。

ライヴハウスの角を曲がり、地面がアスファルトから未舗装の砂地に変わったかと思うと、駐車場みたいなライヴハウスの裏手に出た。

既に人だかりができている。

相田と二人で爪先立って人垣の中を覗いてみたら、裏口の小さなドアは閉まっていて、まだオリチャンは出てきていないようだった。

ドアの両脇には警備員が配置されていて、ものものしい。

楽屋口の何メートルか先に、窓ガラスがスモークになっていて中が見えない仕様の車が一台停めてあり、その車までファンたちの列は続いている。

ファンたちの前にはロープが張られていて、さらにその内側にコンサートスタッフが送迎係として何人か待機していた。

相田の目はライヴハウスの閉ざされた裏口のドアを睨んでいる。

彼にあるのは目だけ。

あたしにあるのも目だけ。

ひたすら見つめるだけのこの行為を、なんと呼べばいいのだろう。

私はミサトを見つめている相田が好きだ。

「早く帰らないと、バスの最終に間に合わなくなるよ」

追いついたヒカリが息を切らしながら言う。

その時ドアが開き、警備員が一歩前へ進んだ。

周りのファンたちが、いっせいにカメラの用意をする。

一瞬の静寂。

建物の中から、ついに、葛城ミサトが出てきた。

ライヴの時みたいに、いやそれ以上の熱狂的な歓声が上がる。

夢の中で見た時とは違う、輝きに満ちている。

TシャツにGパンの普段着で、髪を風になびかせながら、大股で颯爽と歩いてくる彼女は、やっぱり背が大きい。

見ていると思わず安心してしまうような、すくすくとした笑顔。

焼きたてのパンみたいな香ばしい匂いがしそう。

ファンの女の子たちが歓声を上げながら、ロープの向こうを歩いてくるミサトに、腕を伸ばして花束を放るようにして渡した。

ミサトは大きい花束をまるで赤ちゃんを抱きかかえるように両腕で包み、やさしい笑顔で揺れる花々を覗き込んだ。

いきなり、隣の相田がミサトに引き寄せられるように、ふらふらと歩き出し、ミサトを囲む人だかりの前に立つと、両手で人垣をかきわけようとした。

でもファンはミサトに夢中でどこうとはしない。

すると相田は彼の前に立ちふさがっている女の子を強い力で押しのけた。

女の子はよろめき、肩から落ちたキャミソールの紐を引っぱり上げながら、何すんのよ、と声を荒げる。

「ケンスケ、やめいや」

鈴原が服の袖を掴んで止めようとしたが振り払い、彼は次第に乱暴になっていく動作で、ファンの人たちを押しのけながら前へ進んでいく。

「アスカ、止めた方がいいよ」

不安げなヒカリに、私はぼんやり頷く。

そう、彼を止めなければ。

でも動けない。

自分の限界破ろうとしている彼はあまりにも遠くて、足がすくむ。

どかされたファンの人たちの怒声を浴びながら、ついに、相田とミサトとの距離は、あと一本のロープだけになった。

しかし、ミサトは怯えるどころか、驚きさえしなかった。

相田が一歩踏み出すと、すぐに壁ができた。

スタッフの壁だ。

背中に社名の入ったTシャツを着ている彼らは、プリントの点線部分を鋏で切っていくように、相田とミサトをきれいに、すっぱりと分けた。

「はい、君、ちょっと困るからね」

「葛城さん!俺です!!相田ケンスケです!」

スタッフの静止にあいながらも相田は、『相田ケンスケ』は伝えなければいけない言葉を紡いでいく。

「貴女のおかげで世界は救われました!あの戦いに最後まで残ったヴィレのメンバーは全員、無事に帰還を果たしました!!」

ありったけの「記憶力」をこめて報告を続けていく。

「高尾コウジ、奈良スミレ、多摩ヒデキ、北上ミドリはWILLEで運搬業務に従事しています!問題をおこしながらもあちこちの空路を飛び回っています!」

スタッフがいよいよ本気になって相田をミサトから遠ざけようとするがミサトはそれを止めて『相田ケンスケ』の報告を聞き続ける。

「赤木リツコ、伊吹マヤ、日向マコト、青葉シゲルは第三村でそれぞれの特技を活かして村に貢献してくれています!赤木さんに酒が入るのを必死で阻止しています!!鈴原夫妻は相変わらずのオシドリ夫婦で娘のツバメめも元気いっぱいです。最近は活発に動きはじめて面倒を見ているサクラが手を焼いています!!」

あたしも、シンジも鈴原もヒカリも相田ケンスケの言葉に聞き入る。

全然わけが分からないはずなのに、不思議と理解できてしまう。

ミサトは、『葛城ミサト』はにっこりと微笑みながら静かに涙を流している。

それを確認しながら『相田ケンスケ』は最後の報告をする。

「今度、相田ケンスケとアスカは籍を入れます。いろいろあると思いますが二人で乗り越えて行きたいと思います。最後に貴女と加持さんの『リョウジ』は今も元気に過ごしています」

そう言って相田は全ての力を出し切ったようにその場に崩れ落ちそうになる。

それを受け止めるミサト。

「ありがとう。ケンスケくん。私は私の大切なものを守ることができたのね」

そう言ってミサトはあたしのほうを見て告げる。

「アスカ、あとのことはお願いできるかしら?」

「しょうがないなぁ。貸し、だからね」

「ふふ、ありがとう。向こうのケンスケくんとあなたは結ばれたみたいだけど、うかうかしていると結婚するの遅れるから気をつけないね?」

「うっさい。はやく行きなさいよ」

そうして、ミサトはあたしに相田を託して他のファンに手を振りつつもゆるやかなカーブを足で描いて、進んでいった。

彼女のためだけに用意された花道を。

用意されていた車に乗り込み、颯爽といなくなった。

その後は、どうにか目を覚ました相田を連れて帰りの電車にはなんとか間に合ったけれど、目的地の駅に着いた頃にはバスはもうなかった。

あたしの家もヒカリの家も、駅からはとても歩いて帰れる距離じゃない。

「私のバス、もう出てた。アスカは?」

違うバス停まで時刻表を確認しに行った絹代が、疲れきった顔で戻ってきた。

「あたしのも駄目。三〇分も前に最後のが出てる。鈴原は?」

「わしのところもだめや」

幼馴染のバカシンジはあたしと同じ方面なので当然ダメだ。

辺りを見渡すと、駅のちょうど裏手にあるこのバス停周辺は真っ暗で、バス停横に時刻表がやっと見えるくらいのぼんやり曇った光を放っている街灯が、一つあるだけ。

車は一台も通らない。

バス停の後ろは空き地で、人の背よりも高い草が、無数のピンクチラシが乱雑に貼られているフェンスに押さえつけられている。

電化製品や壊れたバイクが投げ捨ててある空き地からは、草いきれと糞のにおいが漂ってくる。

側の電信柱には赤文字で〝チカンに注意!〟と書かれた看板が針金でくくりつけてあった。


「ここで野宿?」

「まさか。家に電話して、車で迎えに来てもらおうよ。うち多分お父さんが帰ってるだろうから、アスカも一緒に乗せていってあげるね」

相田は私たち二人のやりとりを聞いているのかいないのか、フェンスにもたれてしゃがんでいる。

空き地に捨てられている粗大ゴミの一つみたいだ。

「ヒカリ、ちょっと待って。ねえ、相田の家ってここから歩いて行ける距離だったよね。あたしたちを泊めてくれない?」

相田の姿を見ていると、ひとりでに口が動いた。

彼は明らかに疲れきっている顔で、立っているあたしを見上げる。

「おれんち?」

「そう」

「こんな遅くに突然お邪魔したら、家の人に悪いんじゃない?相田くんも疲れてるみたいだし。帰った方がいいかもよ?」

ヒカリが戸惑ったように囁く。

そうかもしれない。

けれど、この夜に彼を一人残して帰るのはいけない気がする。

「いいよ。今日家んち親戚の集まりで誰もいないから。みんなうちに来てくれ。行こう」

相田は立ち上がり、道を歩き始めた。

《この世は 長い坂道だけど》

《長さじゃないよ 人生は》

《真実一路 生きたなら》

《短くったてかまわない かまわない》

《タンバリンリンリン タンバリン》

直後、流れる携帯の着信音。

この音はバカシンジだ。

しかも、この着信音の相手は。

「はい。もしもし、シンジです。………え?マリさんいま、どこに………ええ?日本に帰えってる!?なんで………うん、いまライブに……すぐ近くにいる?」

バカシンジの言葉が途切れると同時に赤いスポーツカーが夕闇を切り裂きながら出現した。

「やっほ~わんこのシンジくん、久しぶり~♪」

スポーツカーの中から飛び出して現れたのは研究者の真希波・マリ・イラストリアス。

バカシンジの現在の恋人だ。

「姫も久しぶり~。元気してた?」

「まあね。………日本に帰ってたんだ」

「ついさっきね。シンジくんの家に直行しようと思ったら~葛城ミサトライブに行ってるかな思って、電話かけたらビンゴだったにゃ~」

いったいどうやってあたしたちがミサトのライブに行ってるって知ったのだろう?

「ん~?もしかして帰宅するのに足がないのかにゃ~?もし、よかったら、みんなで途中まで乗ってくか~い?」

「あんたのそれ、2人乗りでしょ?余計な気遣いはいいから、さっさとバカシンジと行ったら?」

「姫とその友達置いてけぼりしたら~夢見が悪くてしょうがないってば~♪」

「別に。いまからその友達の家に泊まろうとしてたから特に問題ない」

「そう?じゃ、お言葉に甘えて」

瞬く間にバカバカバカシンジをスポーツカーにつれ込むマリア。

「ちょ、マリさん待っ!トウジ、委員長、アスカとケンスケ、のこと、よろしくっ!」

そして二人は夕闇の中を車で走り去っていった。

街灯がぽつんぽつんとしかない坂道を四人で進む。

あたしたちを案内するように自分の家を目指して先を歩く相田の後ろについていく。

相田がドアを開けて、四人がに中に入ると、暗い玄関はとても狭くなった。

鈴原とヒカリとあたしが家に電話を入れている間に、相田は家の奥に入っていき、やがて布団をかついで戻ってきた。

鈴原と協力して居間に二人分の布団を敷いたあと、もう一度奥にいき布団を担いでくる。

細長い廊下を歩き、庭の中のドアが開かれ、突然現われた階段を上がって部屋に入った。

あたしと鈴原はこの部屋を見慣れているけれど、ヒカリは、『隔離部屋みたい!』と驚いた。

相田と鈴原がかついできた布団を畳の上に落とすように置いた。

相田がドアを開けて、四人がに中に入ると、暗い玄関はとても狭くなった。

鈴原とヒカリとあたしが家に電話を入れている間に、相田は家の奥に入っていき、やがて布団をかついで戻ってきた。

鈴原と協力して居間に二人分の布団を敷いたあと、もう一度奥にいき布団を担いでくる。

細長い廊下を歩き、庭の中のドアが開かれ、突然現われた階段を上がって部屋に入った。

あたしと鈴原はこの部屋を見慣れているけれど、ヒカリは、『隔離部屋みたい!』と驚いた。

相田と鈴原がかついできた布団を畳の上に落とすように置いた。

「おれはいつも使ってる布団で寝る。トウジは俺の部屋、式波と委員長はさっきの居間で寝てくれ」

部屋の畳の上に座って一息ついた。

ライヴハウスでたくさんのファンにもまれた私たちは汗まみれで、脂っぽいにおいがしている。

「身体から、いろんな人の汗のにおいがしてる!あんなに女ばっかりのライヴだったのに、このにおい、男子顔負け。早くお風呂に入ろう」

あたしが自分の腕のにおいを嗅ぎながらヒカリに言う。

「お風呂まで借りちゃっても、いいものなの?」

「大丈夫、さっき相田から許可もらったから」

「じゃ、部屋の主の相田くんが、一番風呂どうぞ」

「風呂入るのやめておく。なんか駄目だ。今入ったら、風呂に負ける気がする」

「その汗のままで、布団に寝転がる気かいな?」

鈴原が目を丸くする。

「じゃあベランダで寝る。ごめん。おやすみなさい」

相田はよろよろと立ち上がり、部屋に隣接している畳一畳ほどの狭いベランダに出て窓を閉めた。

「どうしよう。部屋の持ち主を追い出しちゃった」

「放っておけばいいやろ。たぶんあれで参っているんや」

「まあ、普通、あれだけのことをしたら、参るわよね」

楽屋口でのことを思い出して三人でため息をつく。

結局、男子一名ののぞき見を防止するため、お風呂には先にヒカリが入り、その次にあたしがシャワーを借りた。

最後は鈴原が入浴する

気分はいくらかさっぱりしたあとで、借りた和服と着てバスタオルで髪を拭きながら居間に戻った。

風呂上がりの熱い身体のままで、ヒカリと二人で布団に向かう。

お客様用布団らしく、糊の利いたさらのシーツが布団に挟んであり、それも広げて敷く。

この部屋のスペースには布団二枚が限界で、畳は完全に布団に埋め尽くされ、部屋は一変して白の世界になった。

清潔そうにまぶしく光っている白いシーツの上に、滑りこむようにして寝転がった。

赤ちゃんの産着みたいな生地のタオルケットが懐かしくて、顔を埋めると気持ちいい。

私の足もとに座ったヒカリは、化粧が落ちて、中学生の頃の細目に戻っている。 

「お腹すいたー。そういえばアスカ、私たち晩ごはん食べてないよ」

「しゃあないな。ケンスケんちには悪いが冷蔵庫開けてみよか。何かあるかもしれないな」

廊下から現れた鈴原に連れられリビングにある冷蔵庫の扉を開けると、お茶と三ツ矢サイダーのペットボトルと、新品のヨーグルトパックが入っていた。

冷蔵庫の中では、食器も一緒に冷やされていた。

鈴原はヨーグルトとガラス皿三枚と小さいスプーン三つを取り出す。

お腹の空いていたあたしたちは皿にヨーグルトを山盛りにして、食べ始めた。

あたしはヨーグルトは酸っぱくてあんまり好きじゃない。

ヨーグルトパックの蓋に付いていた砂糖を、ガラス皿にさらさらとこぼし、指につけて舐める。

ヨーグルトを掬うスプーンが皿に当たる音だけが響く。

久々に三人きりで、鈴原とヒカリに何を話せばいいのか分からない。

ヒカリが今日の出来事を振り返る。

「相田くんが怒られちゃったのは哀しかったけど、またみんなでこんなふうに泊まって話せたりして楽しかったね」

みんな。

中学生の頃はバカバカバカシンジもいた。

もうすぐ来る長い夏休みはアタシとバカバカバカシンジの間にさらに距離を生むだろう。

その夏休みの先に続く、ひたすら息苦しい二学期。

授業の合間の十分休憩が一番の苦痛で、喧騒の教室の中、肺の半分くらいしか空気を吸い込めない、肩から固まっていくような圧迫感。

自分の席に座ったまま、クラスの子たちがはしゃいで話をしている横で、まるで興味がないのに、次の授業の教科書を開いてみたりして。

この世で一番長い十分間の休憩。

自分の席から動けずに、無表情のままちょっとずつ死んでいく自分を、とてもリアルに想像できる。

不吉な想像を振り払うために、あたしは、クラスの子たちの話を始めた。

ヒカリは友達がいなくて情報網もないくせに、クラスの人間関係についてよく知っているあたしに驚いた。

でも二人とも眠たくて、おしゃべりはぽろぽろ落ちるよう。

「らいばるはあいどる、だね~」

突然ヒカリが耳もとで冷やかすように言った。

「また変なことをいきなり言う」

「相田くんがミサトさんのところに走っていった時のアスカ、ものすごく哀しそうだったよ」

「そんなことない」

「そんなことある」

ヒカリは頑固に言う。

あたしの表情はあたしの知らないうちに、あたしの知らない気持ちを映し出しているのかもしれない。

黙って聞いていた鈴原が会話に入ってくる。


「今日はもう遅いさかい、もうそろそろ寝ようか。トイレは右側のほうにあるさかい、覚えておきや。じゃ、また、明日な」

欠伸をこらえて相田の部屋に行こうとする鈴原の手をあたしは捕まえる。

「鈴原、あたしと部屋割り交換して」

「は?」

「たから、あたしは相田の部屋で寝たいからあんたはヒカリと同じ部屋で眠りなさいよ」

「………はあ!?ちょ、ちょ、ちょっと待てーや!それはアカン!親しき者にも礼儀ありちゅーてやな」

「そ、そ、そうだよ、アスカ!それはいくらなんでも大胆すぎるよ!?」

「あんたたち、せっかくの機会なんだから好きな者同士で少しくらい同じ部屋で一緒に過ごしたいとは思わないの?」

「そりゃ、思うけどな。万が一男女の間違いがないとは限らへんし、何よりワイはシンジからいろいろ任されいるさかい、監督責任ちゅーもんが」

「………バカシンジはここにいないんだから関係ないじゃない。それにお生憎さま。あんたが考えているような不順異性行為はこれっぽっちもするつもりはないから。じゃ、そうゆうことでよろしくね」

そう言ってあたしは強引に相田の部屋に向かう。

ヒカリには意趣返しと応援の意味を込めてウィンクをする。



「相田が窓閉めちゃったから、部屋が蒸し暑いわね」

相田の部屋についたあたしはリモコンを取り、クーラーを一番下の温度に設定し、オンにしてから、また腰を下ろした。

かびた鰹節のにおいのする冷気が布団の上に降りてくる。

「あの人形たちなんか気になるわね」

あたしはまた落ち着きなく立ち上がり、箪笥の上に置いてある数体のこけしやガラスケースに入った日本人形を、せっせと裏返し始めた。

すべての人形を裏返し終わると、今度は学習机に近寄る。

机の上に載っているどうでもいい文房具を、つまみ上げたりしている。

緊張しているのかもしれない。

四つん這いでファンシーケースの前まで進んで、ケースの前にへたり込んだ。

自分でも分からないがただこの箱がなぜか愛しい。

腕を伸ばして電気の紐を引っぱった。

部屋は暗くなり、寝転んだ。

暗闇の中でクーラーの風を送り出す音だけが響く。

それにしても、ベランダの相田は、今、どんなことを思っているんだろう。

彼の布団はがら空きのままで、一つの布団に寝ているあたしには、そのスペースがとても広く見える。

机の上の、文字盤と針に蛍光塗料が塗られた目覚まし時計の針は、三時半近くを指している。

あたしは眠たいくせに眠れない。

相田はまだベランダから戻ってこない。

もう寝てしまったんだろうか。

見に行きたいけれど、一人になりたいからベランダにいるはずの彼を、邪魔したくはなかった。

タオルケットからはみ出た足の裏が冷たくなってきた。

クーラーがきき過ぎている。

深く呼吸をして四つん這いになって手探りでクーラーのリモコンを探す。

長い間畳の上をまさぐっていたら、ようやく敷布団の下に、リモコンの固い感触を指先に感じた。

リモコンを頭上に高く上げて、ピ、とオフのスイッチを押すと、冷風を送り出す低い稼動音が止まった。

部屋は急に静かになる。

しばらく迷っていたけれど、立ち上がって、カーテンの内側に入りベランダの窓を開けた。

途端に蒸し暑い空気が顔を包み、虫の安っぽい鳴き声が遠くから聞こえる。 

目の前にぶらさがっているGパンやタオルをかき分けながら、裸足でベランダに下りた。ベランダはもう夜の闇ではなく、夜明けの暗い青ねずみ色に支配されている。

相田がいない。

いや、いた。

ベランダの隅でこちらに背を向け、何かから逃れるように身体を小さく丸めて、ぐったりとしている。

「大丈夫?」

彼の身体を揺すると、起きてる、という低い声が返ってきた。

「部屋に入った方がいい。このベランダ暑すぎるよ」

本当になんでこんなに暑いんだろう、もうすでに汗ばんでいる。

辺りを見回したら原因はすぐ見つかった。

「あ、クーラー!」

大きな室外機の羽根が、もうクーラーを消したのに、まだくるくると回っている。

夜から今までの間、ずっとここから強烈な熱風が相田に吹きつけていたんだ。

「もう消したんだろ、クーラー。そんなら朝までここにいるよ。動くの、めんどくさい。」

相田はのろい動作でベランダの隅からベランダと部屋の境目へ移動し、腰掛けた。

あたしもぶら下がっている洗濯物をできるかぎり物干し竿の端に寄せてから、隣に座り、黙って外を眺めた。

外の闇は少しずつ薄れ、粒子の粗い景色が広がっていく。

暗くて形しか分からなかった家の細部、窓や屋根についているアンテナの輪郭なんかが、徐々に姿を現わし始める。

青い屋根瓦に青い竿竹、青い色がいつもより古くさく見えた。

相田がくしゃみをした。

彼の薄い目蓋、薄い唇、目も口も皮膚をすぱっと切り開いて作られたみたいだ。

何もない所をじっと見つめている猫のように無表情。

同じ景色を見ながらも、きっと、あたさはと彼は全く別のことを考えている。

こんなにきれいに、空が、空気が青く染められている場所に一緒にいるのに、全然分かり合えていないんだ。

寝巻き姿のおじいちゃんが家の下の道路を歩いていき、電信柱の下にゴミ袋を置いていった。

朝が始まる。

中途半端な寝不足で迎える、無気力な朝。

空は白っぽくなっていき、気温がむくむくと上がって、昼になったらどれだけ蒸し暑くなるのかなんとなく想像のつく朝だ。

朝陽がまぶしくて、だるい。

「ライブに一緒に来てくれてありがとう。」

「別に、暇だったし」

「おれさ、理科室で式波に、〝このモデルと会ったことがある〟って言われた時、はめられた!って思ったよ」

「はめられたって、何に?」

「なんか、大きいものに……巨大などっきりプロジェクトに」

相田は両手で大きな輪を描くような、よく分からない身振りをした。

風に揺れるぼさぼさの髪が、ベランダの薄汚れた壁と白い空を背景にして、毛先までくっきりと黒い。

「電撃だった、全身の毛穴が開いたって感じだった。……あーあ。楽屋口で、おれ、暴走して、怒られて、ただの変質者だったな」

そう独り言のように呟き、遠い目をして微笑む。

「ミサトに近づいていったあの時に、おれ、あの人を今までで一番遠くに感じた。彼女のかけらを拾い集めて、ケースの中にためこんでた時より、ずっと」

言葉の続きを待ったけれど、彼はそれ以上何も言わず、眠ろうとするかのように寝転んだ。

あたしに背を向けて。

川の浅瀬に重い石を落とすと、川底の砂が立ち上って水を濁すように、〝あの気持ち〟が底から立ち上ってきて心を濁す。

いためつけたい。

蹴りたい。

愛しさよりも、もっと強い気持ちで。

足をそっと伸ばして爪先を彼の背中に押し付けたら、力が入って、親指の骨が軽くぽきっと鳴った。

「痛い、なんか固いものが背中に当たってる」

足指の先の背中がゆるやかに反る。

「ベランダの窓枠じゃない?」

相田は振り返って、自分の背中の後ろにあった、うすく埃の積もっている細く黒い窓枠を不思議そうに指でなぞり、それから、その段の上に置かれているあたしの足を、少し見た。

親指から小指へとなだらかに短くなっていく足指の、小さな爪を、見ている。

気づいていないふりをして何食わぬ顔でそっぽを向いたら、はく息が震えた。

それを見た彼の腕があたしの背に回り、そっと抱き寄せる。

あたしはその腕の中に滑り込む。

あたしは彼の胸におでこをあてる。

それだけ。

目を閉じると彼の体温を感じる。

彼の呼吸音に、自分の呼吸を合わせる。

感情が凪いでいく。

ねぇ、ケンケン。

ここは落ち着くの。

だから、あたしをここに居させて。

隣で眠り合わせてくれるそれは幸せで穏やかな帰着点。

美しい世界。