ひたぎピジョン

「胸が大きくなりました」

そう言って胸を張る彼女の胸は、背を反らして突きつけるまでもなくその存在を大きく主張していた。
大きさ的には調度良い、美しい肢体だったはずの彼女のボディバランスは大きく崩れ、世の男の理性を崩す存在になっていた。


突出している状態であるため崩れたなどと表現したが、それは見目が悪いということでは決して無い。
それどころか一般的に言えば男性の憧れとも言うべき大きさであったし、コンプレックスを持つ女性からしたら布を噛んで悔しがるほどのサイズといえる。
その大きさは僕の中で天井であったはずの羽川翼を大きく突き破り、羽川を1とすれば1.3はあるのではないかというほどの大きさだった。

1.3羽川。

羽川130%

三割増し羽川。

こんな表現をするとあたかも羽川のほうが矮小なようにも思えるが、彼女の胸は女性の平均的な胸囲を大きく超えているし、制服を内側から押し上げるその存在感は筆舌しがたい感情を沸き起こすに充分過ぎるほどの威力を有していたのは語るまでも無い。
それがどうだ。
目の前のひたぎはその羽川の王座を奪ってここに君臨した。
たった1日で。

「・・・・・・成長期か?」

「そんな訳無いでしょう」

「詰め物か?」

「天然よ」

「突然変異?」

「そうとしか言えないわね。触ってみる?殺すけど」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・・・・いや、遠慮しておこう」

「長考する選択肢だったかしら」

ちなみにこの会話中、僕はずっとひたぎの胸部を凝視していた。
なんだこれは。
夢だろうか。
ここで言う夢とは、眠っているときに見る夢ではなく男の夢である。
そう、夢が詰まっているのではないか、という説である。
この説は僕の中で濃厚なのだが、口に出した途端に死が待っているのは濃厚どころか確定事実でしかないので、やめておくとしよう。

「原因に心当たりは?」

「無いわ。怪異の仕業としか思えないのだけれど」

「怪異がお前の胸を大きくしたって言うのか?」

「暦の下種な願いを叶えた、ということね」

「僕経由かよ。・・・いや、一般的な男性の嗜好からしてなくはないかもしれないけどさ。お前の願いを叶えたというのはないのか?」

「私は巨乳に憧れた覚えは無いわ。それに私は貧乳というほど小さくはないし、陸上をやっていた時に巨乳の友人が悩んでいたのを見た時は、むしろ嫌悪感が勝っていたわね」

「確かにスポーツには不向きだよな。火憐ちゃんなんて削ぎ落としたいって言っていたし」

「それは少数派だから安心なさい」

「原因不明か。さらしを買って家に来いと言われた時は何事かと思ったよ」

「今はお父さんのトレーナーで我慢しているけど、大抵の服は入らないわ。下着や服を買い代えるのは馬鹿にならない金額だし、早期解決が望ましいのだけれど」

「とは言ってもな。今朝、目が覚めたらこれでした、じゃあヒントが少な過ぎる。・・・昨日はどうだ?原因になりそうなイベントはなかったか?」

「昨日はほぼ一日中一緒に居たじゃない」

「それでも改めて振り返ってみよう。現に昨日までお前の胸は普通だった訳だし」

「そうね。確か昨日は・・・」

昨日の話。

先程述べたとおり、僕とひたぎは朝から一緒に居た。
正確に言えば、午前9時から午後9時までの間。
所謂、デートというやつだ。

大学が休みである土曜日、久しぶりに出かけようという運びだった。
デートコースを簡単に説明しよう。

朝に最寄り駅に待ち合わせ。
僕の運転する車で郊外に移動し、動物園に向かう。ここで午後2時まで過ごし、昼食もとった。

街中まで移動し、ウィンドウショッピング。

近くの神社で休憩。

ひたぎチョイスのレストランで夕食を済ます。

食後、腹ごなしに近所の公園を散歩。

ひたぎを家まで送り、デート終了。

僕達にしては珍しい、お手本のようなデートコースだ。
このままティーンエイジャー向けの雑誌に載せられても不思議じゃない。
いや、むしろ普通過ぎて載らないんじゃないかというぐらいに一般的だ。
鋏もカッターもない、平和で素晴らしいデートだったと言える。

「イベントは大きく分けて4つ。動物園、買い物、神社、公園。移動や食事は考えず、この4つを検討してみましょうか」

「そうだな」

動物園。
テレビや写真でしか見られないような動物達を生で見ることができる施設。
最後に来たのは中学生か小学生か、記憶に無い。
ひたぎも同じようなものらしい。

山猫、猿、蛇、鳥類、虎などを鑑賞し、何枚かはスマートフォンのカメラに収めたりもした。
普段見ることのない動物の姿に興奮してはしゃぐひたぎの姿は、18歳という年齢相応の可愛らしい反応だったと追記しておこう。

ウィンドウショッピング。
見たのは主に服、小物、たまに本など。
つまりはひたぎの好きそうな物である。
ファッションに疎い僕は着せ替え人形として、荷物持ちとして、太鼓持ちとしてひたぎの後ろについて行った。
洗練された装いをいつも見せてくれるだけあり、彼女のセンスは良い。
最近はひたぎの影響、というよりは教育によって多少は考えるようになったものの、僕の趣味は一般的に良くないらしい。
シンプルな服装を意識せよとはひたぎの言葉である。
ファッション雑誌を参考にすることも考えたが、ファッション伝道師を自称するひたぎの指導に従うのが早道なのは確かだろう。

また、僕がファッションを苦手とする一因に店員との会話が苦手、というのもある。
ひたぎは気にする様子も無く、自店の服を身に纏った女性店員と会話しているが、僕は同性異性に関わらずああいう会話に尻込みしてしまうのだ。
これは一般的にもよくある傾向らしい。
季節に合ったジャケットとパンツを購入し、服の買い物は終了。
ひたぎは今回は買わなかった。

書店では漫画、雑誌、小説と一通りのジャンルを見て回った。
僕もひたぎも嗜む程度には読書するタイプであるため、書店に寄る機会は多い。
とはいえ本の定期購入は自宅の余剰スペース、財政への圧迫とデメリットも多いため、ひたぎは図書館を利用することがほとんどだ。
自然と書店での行動は雑誌の立ち読みが多くなるが、例外として漫画本を購入することはある。

「ファンとしては購入してあげないと打ち切りになる可能性があるから」

ファンの鑑である。
某週間少年誌で連載中の漫画で、表紙はヒロインの水着姿だ。
余談だが、少年誌においてグラビアアイドルが表紙を飾った場合、売り上げが落ちることがあるらしい。
これは購買層である低年齢層が買い難くなってしまうからだとか。
思春期の頃を思い返すに、分からないでもない。

そんな訳でひたぎが少年漫画を購入して書店での買い物は終了となった。

「これで昨日の行動を半分振り返ったことになるが、何か思い当たる点はあるか?」

「・・・特にはないわね。動物の怪異が原因なら動物園が一番怪しいけど、楽しんでいたからそんな気配は微塵もなかったし。買い物も普通ね」

「僕も同じだ。原因となりそうな行動はなかったと思う。ひたぎは書店で雑誌を立ち読みしていたけど、何を見ていたんだ?」

「旅行雑誌、タウンマップ、ファッション雑誌ね。胸が関連するのはファッション誌だけど、そこまで意識していたつもりも無いわ。胸もファッションの対象にあたるから考えなかった、という訳でもないけど」

「僕も動物園では動物に夢中だったし、買い物中は僕の服が中心だったから周りは意識していなかったように思う。書店では小説を少し読んだくらいか」

胸に関して、僕は一般男性と同じぐらいの興味しか持っていない。
つまりは並々ならぬ関心があるということだが、流石に四六時中も考えていたりはしない。
せいぜい二六時中、一日の半分程度がマックスだろう。
羽川のことを考えていれば羽川のことを考えている時間と同じだけ、胸について考察する時間も増えるが、あくまで一般的な域を出ない。
羽川のことを考えてその胸部に考えが至るというのは極々当たり前で一般的なことなのだ。
羽川といえば、昨日のデートには彼女も登場していた。

「そういえば、昨日のデート中に羽川から電話があったよな」

「ええ。私宛に、暦が一緒なのも予想していたみたいだけど」

登場したと言っても、彼女は世界一周旅行の最中である。
電話での登場ではあるが、僕は彼女の姿をこの目で見た。
つまりはテレビ電話だったのだ。

内容こそ自身の無事を知らせる定期報告であり、旅行の途中経過や世間話を交えた他愛の無いものだったが、久しぶりの羽川の姿に僕は大層喜んだ。
テーブルの上にスマートフォンを置いているのか、彼女の上半身のみしか見ることは叶わなかったが、少し日焼けしているようだ。
白無地シャツに黒いミリタリー風のジャケットを羽織り、グレーのキャップを被っている。
何と言うか、羽川のイメージらしくないワイルドな格好である。
世界旅行が彼女のファッションセンスを質実剛健なものに変容させたのかもしれない。

国際通話であるため長話はせずに通話を終える。
元気そうで何よりだった。
そういえば、なぜテレビ電話だったのだろうか。
ひたぎにそう問えば、シンプルに返答された。

「翼の御姿を定期的に見れないなんて私は耐えられないわ」

同感だった。

僕も今度はテレビ電話をお願いしよう。
この出来事が、買い物後の神社での一幕である。
街中の喧騒に疲労感を覚えた僕達は、駅前から少し歩いた神社に向かった。
境内を散歩し、お参りし、御神籤をひく。
神社でのイベントを一通りこなし、鳩に餌をやっていたところで羽川からの着信があったという訳だ。
相変わらず、タイミングを知っているような奴だった。

「羽川、元気そうだったな。服の趣味は前と変わっていた気がするし、日焼けしていたようだけど」

「ええ。環境に適用し易い服、といったところかしら。翼のことだから問題ないと思うけど、どうしても心配しちゃうわね」

「なにかあったら助けに行けばいいさ。そのために旅行の予定が無いにも関わらずパスポートも取ったんだからな。」

「時間があったら海外旅行にも行きたいところね」

「それは良いな。アルバイトを増やす必要はあるけどな」

餌目当ての鳩の大群に見送られつつ、神社をあとにした。

「これが、神社で起きたことね」

「ああ。お参りは普通の内容しかお願いしなかったし、変わったことと言えばひたぎが御神籤で凶を引いたことくらいか」

「黙りなさい。この私としたことが凶を引くなんて迂闊にも程があったわ」

「いや、運否天賦の御神籤に迂闊も油断も無いだろう。内容におかしなところは無かったか?」

「別に。悪いことしか書かれていなかったけど、怪異に関わるようなことはなかったわ」

「そうか。僕は大吉だったけど、特におかしなところはなかったな」

「自慢?だいたい、凶を引くなんてオチ担当は暦でしょう。何してくれちゃってるのよ」

「僕は神様とも仲が良いからな。日頃の信心の結果だろう」

新人ならぬ新神の八九寺にそこまでの力があるかは疑問だが、拝んでおいて間違いはないだろう。
あいつに噛み付かれるのも獅子舞みたいなものだと思えば、意外とご利益があるかもしれない。神だけに。
ロリ神様に噛み付かれるのを神事として広めれば、かなりの信者が得られるんじゃないだろうか。
あいつ、参拝客が少ないのを気にしていたしな。
信者と書いて儲けると書くんですよ阿良々木さん――とは賽銭箱を覗き込んだ八九寺の台詞である。

閑話休題。
神社の続きを思い返そう。
その後、ひたぎの選んだイタリアンレストランで食事をとり、移動した先は公園だ。
大きさは白浪公園と同程度、といったところか。
夜の帳が下りた空には薄い雲が掛かっていたため月星は隠れている。光源は点々と立っている外灯のみである。
他に人も居らず、ベンチに腰掛けた僕達はゆっくりとした時間を過ごしてその日のデートは終了となった。

「嘘をついているわね、暦」

「・・・何がだよ」

「デートの最終イベントである公園がそんなあっさりした語りで終わる訳ないじゃない」

「いや、しかしだな」

「しかしも案山子もないわ。いいからねっとりと説明なさい。あの公園で私に何をしたのかをね」

「・・・いいけどさ。ここにはどうせ僕らしかいないし」

端的に言えば、いちゃついていた。
そりゃそうだろう、恋人が夜の公園ですることと言えば限られている。
他愛の無い話に興じていた僕だが、いつしか会話は途切れ、二人の距離は縮まっていき。
ゼロになった。
互いの手を絡め、肩は密着し、不敵な笑みを湛えるひたぎが上目遣いに僕を見つめる。
今さらだが、季節は春を過ぎた頃だ。
暑くもなく寒くもない気候だが、僕らは互いの腰を抱いて体温を熱く感じるほどに密着する。
暗さで見えはしないが恐らく赤くなっているであろうひたぎの頬をそっと撫でれば、動きに合わせたかのように瞳が閉じられる。
繋いだ手をきゅっと握り、ひたぎの唇に向かって距離を縮めると、引かれる磁石の如くひたぎの唇も前に進む。
表情をギリギリまで見ていたくて目を開けていた僕だが、唇が触れ合った瞬間に瞳は閉じた。
今度は触覚以外の感覚を機能させたくなかった。
ひたぎとのキスだけを感じていたかった。
たっぷり10秒くらいか、それとももっとかは解らないが唇を離すと、ひたぎの瞳に映る僕自身と目が合う。

惚けた顔をしていた。

情けないとは思わない。ひたぎの顔も似たり寄ったりだったからだ。
恋人同士、こんな時ぐらい惚けたって構うまい。
惚けた、あるいは蕩けた表情に見蕩れていた僕の顔が、今度はひたぎに触れられる。
しかしその手は頬を撫でることなく通り過ぎ、僕の後頭部を掴むと、力任せに顔を引き寄せる。
目の前には、もはや見慣れたひたぎの瞑した顔が迫っている。
僕は喜んでそれを受け入れる。

そうして、夜は更けていった。

「甘あああああああい!!」

神原の声が部屋に轟いた。
押入れの中から転がり出るように現れ、今は文字通り床を転がっている。
自分を抱きながら悶絶しつつ左右に転がっている。
なんというか、神原節全開だった。
え、というかこいつ、押入れに居たのか。
ならさっきの僕の語り(主に公園でのキスのくだり)はこいつに筒抜けだったということだ。

やばい。超恥ずかしい。
恋人とのキスを素敵に緻密に赤裸々に語ってしまった。
ひたぎの照れ顔が見られるんじゃないかと、調子に乗って事細かに語ってしまった。
しかし照れるような様子は微塵も見せず澄まし顔のひたぎを見るに、当然ながらこいつは神原の存在を知っていたのだろう。
それでいて語らせたのだろう。
試合前から僕の負けだった。

「先輩方がそんな素敵なキスシーンを繰り広げていたとは。この神原、妄想が止まらない!」

「流石に割愛したようだけど、後にべろちゅーもしてるわ」

「べろちゅー!?ふぁあああ、大人アダルトだな!」

「・・・大人もアダルトも同じ意味だ」

「良いなあ!良いなあ!先輩方のどちらでも良いから、私にもべろちゅーをしてくれないだろうか!?」

「するか馬鹿駿河!」

「おっと、私の名前を否定形のように繋げないで欲しい。私の名前は神原駿河だ」

「すまん、噛んだ」

「いや、わざとだろう」

「本当にすまん、きゃんだ」

「わざとじゃない!?」

「むしろ舌を噛んで死にたい」

「それはいかん、生き恥を晒してでも生きて欲しい」

まさか僕が八九寺のネタを披露させられるとは。
照れ隠しにもほどがある。
何が楽しくて後輩に自分のキスシーンを語らなければならないんだ。
ひたぎが楽しいのは間違いないが。

「それよりも阿良々木先輩、押入れの中で昨日の回想を聞いていたんだが、私にはこの怪現象の原因が読めた気がする」

「本当か?」

「うむ。恐らくではあるが、客観的な立場ゆえに気付けたことだろう」

抑揚に頷いてみせる神原は、佇まいを正して正座している。
僕とひたぎが原因解明に至らなかったのは、当事者ゆえということだろうか。
立場が、視点が異なるが故に気付くというのは、推理物ではよくあるパターンだし、有り得る話だ。
例えば扇ちゃんがここにいたのなら、すぐに解決してみせたのかもしれない。

「神原、とりあえず貴女の考えとやらを聞かせて頂戴」

神原は直感や感性の点で優れたものがあるし、とひたぎは続けた。
確かにその通りに思う。
バスケットボールという瞬間的判断力が求められるスポーツをこなすせいか本人の素質かは分からないが、神原は経過を飛躍して物事の本質に辿り着くことがある。
途中式を書かずに数式を解く、みたいなものだ。
これは火燐ちゃんにも同じような傾向が見られる。
直感タイプの似たもの同士、ということだろう。
ともかく、神原はひたぎに促されて自身の考えを話し出した。

「昨日のデート内容を聞いて、共通したものがあることに私は気付いた。動物園、買い物、神社、公園。これらにおいて阿良々木先輩は一貫して、戦場ヶ原先輩にしたことがある。正確には、戦場ヶ原先輩にしなかったことが」

僕が、ひたぎにしなかったこと?
この場合、いつもはしているのに今回はしなかった、ということだろうか。
特定の会話だったり行動だったり、ということだろうが、正直に言って毎回意識的にしていることなんて無いようにも思える。
僕はひたぎに対して何かを繕うような真似はしないと誓っているからだ。

それは八九寺と始めて出合った時、お互いに怪異に関する隠し事はしないという決め事をしたことに起因する。
その延長として、僕はひたぎに対しては決して嘘を吐かない。
僕の中の『絶対』のひとつだ。

「そう。意識的なことじゃないし、悪意も善意も作為もない。戦場ヶ原先輩も原因が分からないのは、受け取った方も無意識に感じたことだからだろう。言わば偶然の積み重ねだな」

悪意どころか善意もない、ただの偶然。
積み重なった偶然のひとつに怪異がある。
でもそれは原因ではない。
怪異はただそこにいるだけなのだから。

「・・・神原、もう結構よ。私にも原因が分かったから」

「え、おい。僕はさっぱり分からないんだが」

「これは私の問題だったみたい。暦が発端ではあるかもしれないけど、原因は私の気持ちよ。あまり知られたくないし」

「だけど、それじゃあ僕が釈然としない。僕が無意識に行わなかったことが原因なら、再発するかもしれないじゃないか」

「いいえ、私の気持ちの問題だから、私が気付いていれば防げることよ」

「怪異に関する隠し事はしない」

「それは・・・」

「教えてくれよひたぎ。僕にも知る義務がある。なによりもお前のことだからな」

「・・・分かりました」

やや間を空けてから、ひたぎは語り出す。
僕がしなかったこと、ひたぎがされなかったことを。

「昨日、私は暦に見られなかった」

動物園。僕たちは様々な動物に夢中になった。

買い物。僕の服を選ぶのに何度も鏡を見た。

神社。羽川と画面越しに話した。

公園。月のない空の下でキスをした。

「根本的にはデートコースの問題ね。昨日は何かを見る、選ぶ、ことが多かったけど、その対象は私じゃなかった」

私以外を見つめていたと、ひたぎは語る。
不満を吐露する。

「別に暦が悪いわけではないわ。動物園で動物を見るものだし、ブティックでは私に買う気がなかったから試着もしなったし書店では本を見ていたし。ただ、羽川さんの変化にはきちんと気付いていた」

「確かにそうかもしれないけど。でも公園は違うだろう。僕はひたぎだけを見ていた」

「それは主観的な問題だろう。闇夜で顔は見辛いし、戦場ヶ原先輩はキスをする時に目を瞑る。密着していれば尚更、視線は感じ難い」

神原がそう補足した。
言われてみれば、そうかもしれない。
公園の外灯は多くなかったし、僕がはっきりと目視できたのはひとえに吸血鬼能力の影響だろう。
郊外で月も無ければ常人には見えないのも無理はない。

「要するに・・・ひたぎは僕に見られていないと感じた。それを不満に感じた」

だから胸を大きくした。
気を、興味を、視線を、引くために。

だから、で良いのだろうか。
何と言うか、安直し過ぎじゃないか。胸を大きくすれば僕の視線が集中すると。
まったくもってその通りなのが情けない限りだった。
だが無理は無い。羽川のことを考えるとき、同じ時間だけ胸のことも考える。
差異はあれど、ひたぎも例外ではなかったということだろう。
羽川に知られたら説教されるような内容だった。

「言っておくけれど、私が強く意識した訳じゃないわ。人間という動物は猿から進化する経過でセックスアピールをお尻から胸に移行したの。その知識が現れただけよ」

そう言って、ひたぎはそっぽを向く。
何と言うか、とってつけた様な言い訳である。
視線がないことを、羽川の変化に気付いたことを不満に感じ、羽川よりも胸を大きくする。
確かに表面上は意識していなかったのだろうが、深層心理で対抗した結果がそのサイズに現れている、というのは考え過ぎだろうか。

しかしそれを口に出すのほどデリカシーが無い訳ではない。
誠意を持って受け止めるのが恋人の務めだ。

「戦場ヶ原先輩は巨乳に憧れはないが、阿良々木先輩に見られることに対しては憧れたということだな。恋人の愛情表現なのだから真摯に受け止めて」

「黙りなさい」

「・・・・・・」

黙った。
恐いもの知らずも返上といったところか。
ともかく、原因は分かった。
原因は、だ。

「どうすれば元に戻るんだ?」

「分からないわね」

「分からないな」

トリックは分かっても犯人が分からない、三流探偵か。
とんとん拍子に解決編とはいかないのが現実ってやつだ。
昨日のデート中に怪異に出遭ったのは間違いないのだろうが、特定できる情報はない。
思い当たる解決策としてはひたぎの不満を取り除くことなのだろうが、すなわちそれはどういうことだろうか。

「・・・心当たりはあるわ」

解決法を考えて僕と神原が唸り声をあげる中、ため息混じりにひたぎが告げる。
恐らくは神社に原因がある。
その言葉に従い、僕とひたぎは神社へと移動する。
胸にはサラシを巻き、神原に頼んだであろう大き目のジャージに袖を通してだ。

「あとはお二人の問題だろう。後日談だけ聞かせてくれ」

神原はそう言って帰宅した。
相変わらず、格好良い後輩だ。

神社に着いた僕達は昨日のデートを再現するように同じ行動をとる。
お参りし、御神籤を引き、鳩の餌を買う。
ひたぎは末吉で、僕はまたしても大吉だった。
マジで八九寺が裏で糸を引いているんじゃないだろうか。
再現を終えた僕達は、境内のベンチに腰を下ろした。
足元には撒いた餌に集まった鳩が大量に押し寄せている。

「それで、心当たりっていうのはなんだ?」

「必要なことだから教えるけど、コメントは要らないから」

そう前置きして、ひたぎは語りだす。
自身の深層心理を客観視し、分析し、包み隠さず僕に教えてくれた。

「私が昨日、動物園と買い物で暦からの視線を感じなかった後、決定的だったのが翼との電話よ。いえ、正確に言えば電話後の暦の台詞ね」

「えと、確か羽川が元気そうだったって言ったと思う」

「そうね。そしてこうも言ったわ。『服の趣味は前と変わっていた気がするし』。・・・私が、昨日のデートで着てきたおニューの服には何も言わなかった癖に」

雷に打たれたような気分だった。

気恥ずかしさと、拗ねたような感情が入り混じった表情を浮かべるひたぎ、そうさせたのが僕の鈍感さだという事実に。
僕はきっと世界で一番愚かな奴だろう。扇ちゃんに言われるまでもない。
鈍くて愚かで・・・何も見えていなかった。

デート内容なんて関係なかった。
ひたぎがブティックで試着すらしなかったのも当然だ。
服は買ったばかりだったのだから。
僕の落ち度で、ひたぎを落胆させたのだ。

「・・・ごめん、ひたぎ。僕が真っ先に気付かなければならなかったのに。彼氏失格、だな」

頭を垂れて謝ることしかできない僕に対し、意外にもひたぎは困ったように微笑んだ。

「暦の鈍感さは分かっているわ。私が恥ずかしかったのは、そんな普通の女子みたいな、子供みたいなことに不満を感じた自分自身よ。気付かれなかったのならアピールすれば良いのに、察して欲しいなんて思ったから」

はにかむひたぎに僕は見蕩れた。
初めて出会ったときとは程遠い、鋭さも危うさも無い、普通の女の子。
ひたぎはそんな風になっていた。
なってくれていた。

その変化は、高校三年生から始まった怪異に関わる青春を過ごしたから―――ではない。
単純に大人になっただけだ。
本人も言うやや子供っぽい反応は尖った青春時代の反動、遅れてきた思春期といったところか。
怪異との関わりは確かに稀有な出来事だろう。
しかしそれとは関係なく、戦場ヶ原ひたぎという女子は年月を経て、一般的な変化を得て変わったのだ。
なるべくしてなった。
そこに特別な何かなど存在しない。

「私が変わったのは特別な存在のおかげよ」

そんな僕の考えは、本人にあっさりと否定された。
ひたぎの分析に関してはそこそこ自信があっただけに意外感がある。
特別というのは怪異経験だろうか。
神乳、いや親友である羽川のことかもしれない。
不思議そうにしていたであろう僕の顔と目を合わせたひたぎは、先程とは違って嬉しそうに微笑んだ。
目を合わせたまま、膝の上に置いていた僕の手に自身の手を優しく重ねる。

「あなたよ」

僕はまた雷に撃たれてしまった。
何のことはない、恋に落ちただけだ。
惚れ直したならぬ落ち直した、いや引きずり込まれたが正しいかもしれない。
雷鳴のような優しい囁きに頭は真っ白、もしくはオールピンクか。
何も考えられなかった。

「あ」

小さく声を上げたひたぎは、自分の胸に手を当てている。
元の大きさに戻っていた。
ジャージの隙間からサラシの一部が落ちてきている。
ジャージの下も厚着をしているから下着の有無は分からないだろう。

「・・・元に戻ったみたいだな」

「そうね」

「僕はてっきり、お前の服を改めて褒めるのが解決法かと思っていたんだけど。何が原因で元に戻ったんだ?」

「根底は暦の視線を独占すること。でも、今は視線どころか思考全てを独占したみたいね。おもいっきり顔に出てたもの」

完全に図星だった。
返す言葉もない。
その考えすら透けて見えたのか、今度は悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「私の勝ち」

僕の負けだった。


――
―――

後日談、というか今回のオチ。
結局は何の怪異の仕業だったのかを忍に聞いたところ、こんな返答が帰ってきた。

「伝心鳩、という鳩の怪異じゃの」

「確かに神社に沢山いたが、あの中のどれかが怪異だったのか?」

「うむ。神社や寺などで人の願いを聞き続けた鳩が変じた怪異じゃの。伝書鳩は手紙を運ぶが、伝心鳩は思いを運ぶ。本質的には変わらんか」

「伝えるって言っても、ひたぎの胸が大きくなったのはどういう理由だ?」

「鳩は言葉を持たんから、言葉以外で思いを伝えるのじゃが、お前様は鳩と他の鳥を区別する時どう説明する?」

「えーと。平和の象徴で、帰巣本能が強くて、あとは・・・鳩胸」

「そういうことじゃ」

「さっぱり分からん。詳しく説明してくれよ」

「やれやれ本当に鈍いのう。伝心鳩に憑かれる条件としては、『誰かに思いを伝えたい』、『胸を大きくしたい』、この二つが直結していなければならん。胸を大きくすることで思いが伝わる場合のみ、鳩が胸を大きくする」

「限定的だけど、今回はひたぎの心理がその条件に一致していた訳か。だけどどうにかしたほうが良いよな。再発性が無いとも言えないし」

「わしが焼き鳥にして食っておいた」

「・・・あ、そう」

焼く意味はないだろうに。
可哀想ではあるが、食物連鎖の一環と思ってもらうとしかあるまい。
影で働いていた忍には今度ミスドを買ってやるとしよう。今日は別の用事があるから無理だが。

「逢瀬を邪魔するような野暮はせん。今度は間違わんようにな、お前様」

欠伸ひとつを残して、忍は僕の影に消えていった。

そう、今日の予定とはデートだ。
相手は言うまでもないが、目的としては今回の件の埋め合わせだ。
前回とは違い、今回は僕の家を待ち合わせ場所にしている。時間的にはそろそろのはずだ。
直後、インターホンが鳴る。
急いで階段を駆け降り、踊る胸を扉の前で落ち着けてから扉を開けた。

「おはよう、暦」

「ああ、おはよう」

挨拶を交わした僕の視線がひたぎの上から下まで泳ぐ。
それに対して不敵に微笑むひたぎ。
本当によく笑う奴だ。

「不躾ね。そんなに私の体が気になるのかしら」

「僕はいつでもお前に興味津々だよ。ところで、今日の服装だけど」

玄関先に立つひたぎがどんな素敵な服装をしていたか。
それに対して僕がどんな賛辞を述べたか。

それは秘密とさせてもらうとしよう。
独善的に独占しよう。

語り部である前に、僕はひたぎの恋人なのだから。