「ん……」
 窓を介して差す日差し。その眩しさに呻き声を上げながら、彼は目を覚ます。
 時刻は九時、普段はもっと早いが今日はゆっくりしている。
「何て言うか……、実感湧かないな」

 それは、今から丁度一週間前の事。
 彼に届いたのは転属の報せだった。
 今の鎮守府に配属されてからまだ半年、別れというのはこんなにも早いものなのか。残留したいと打診もしてみたが、結果はやはり残念なものだった。
 そして、今日がその転属の日だ。大半の荷物は既に整理され、執務室も寂れた雰囲気を醸し出している。
「まあ、命令なんだし……、仕方ないよな」
 思ってもいない事を一人言ってから、最後の支度にとりかかる。
 そして、残っている棚の中身を整理している時の事――。
「あ……」
 出て来たのは、一冊のキャンバスノート。
 ページを捲ると、半年前の写真がこれでもかと貼り付けてある。しかし途中からは白紙になっていて、未完成の状態で置かれていた。
「こんな所にあったのか……」
 この簡易的なアルバムは、まだ着任してすぐの頃に作った物だ。
 秘書艦の木曾を始めに、初期の艦娘達と集まって作った。――最も、作成の途中で紛失してしまったのだが。
「まだ木曾も軽巡か……、懐かしいな」
 そうしてしばらく入り浸っていたが、そこでその秘書艦の不在に気付く。気を使ってくれたのだろうが、彼は不安を感じざるをえなかった。
「木曾……?木曾!」
 ドックに艦娘寮、演習場まで行ったが彼女の姿は見えない。更に不安は高まり、自然と彼を足早にさせる。
「どこ行ったんだよ……!」

 それから二時間探したが、彼女は見つからなかった。工廠の整備士や姉妹艦の球磨達にもあたってみたが、誰も彼女を見なかったらしい。心残りを抱えたまま、彼は桟橋に向かう。
「……や、いくら何でも早過ぎたな」
 時刻はまだ十一時半、あと一時間半ほど待たなければならない。
 かと言って執務室に戻っても何も無いので、とりあえず待つ事にしたその時。
「何だ、随分早いな」
 彼に声をかけたのは、二時間かけても見つからなかったパートナーに他ならなかった。
「木曾……!」
 何故か安堵すら感じ、彼は思わず木曾に抱き着く。
 彼女の方も最初は驚いた様子だったが、すぐに優しい顔で抱き返した。

 どうやら、彼女はずっと桟橋に居たらしい。絶対に見送りで遅れないようにという気遣いだった……ようだが、少なくとも九時からだ。随分早いのはお互い様じゃあないか。
「こんな所に居るなんて思わないだろ……心配したんだからな?」
「ははっ、悪かったな」
 彼女が笑う。どうしてもこの笑顔には言い返せないので、罰として頬を小突く。
「むっ……、俺は子供か」
 ちょっぴり不満げな顔をする彼女。こんな表情も、二度と拝む事が出来ないと思うと寂しくなる。
「そういえば木曾」
「……?」
「俺がここに来てすぐの時に作ったアルバム、さっき見つけたんだ。棚に入れといたから、とっておいてくれ」
「言われなくても、そうさせてもらうさ」
 今は十一時五十分、まだまだ時間はある。もっと二人で話していたい、互いにそう思いながら最後の時を刻んでいた。
「木曾、最後に頼みを聞いてくれないか?」
「……ああ、良いぞ。何でも聞いてやる」
「俺、何も思い出の品とか無いんだ。だから……写真、撮らせてくれないか」
 そう言うと、彼女は少しきょとんとする。
「……俺のか?」
「ああ。あと、執務室のアルバムにも貼っておいて欲しい」
 半年間の空白をほんの僅かでも埋めたい、そんな思いだった。空白の時間に遡る事は出来ずとも、今この瞬間ならば収められると。
 それを感じたのか、彼女は微笑んでから承諾した。
「分かった」

 木曾は色々な表情を見せてくれた。笑うだけでなく、少し不機嫌な顔をしてみたり、はにかんだり。呆れたような仕草をとったりもした。
 そうしている内に時間は過ぎ、出発まで三十分を切った頃。
「……さて、そろそろ皆来るよな」
 きっとこれが最後の会話になる、そう思い彼は話を切り出す。
「……木曾、最後に渡す物があるんだ」
 ずっと渡さないままだった物。赤いケースを取り出し、閉じたまま彼女に渡す。
「……後で開けてくれ」
「……お前、まさかこれって……」
 気恥ずかしいので、最後の最後に誤魔化しを入れる。
「いやまあ、分かる……よな?」
 そんな曖昧な返し。だが、彼女はそれでも良いとばかりに笑っていた。
「……大切にしておく」
 そう言うと、彼女の左目から一滴だけ、何かが零れ落ちる。それは初めて見る、彼女の涙だった。
「ん……、悪い、最後にこれはまずいな」
 すぐに目を擦り、いつも通りになる彼女。その表情からは寂しさや惜しさは見えず、強さすら感じさせた。
 他の艦娘達が見送りにやって来ると、彼女は一歩下がる。
「……また会おう!」
 それだけ言って彼の胸を小突くと、彼女は去って行った。
「……ああ、絶対」
 彼が胸の内で返事をした時、タイミングを見ていたかのように船がやって来る。
 船に乗り込み、艦娘達に手を振る。またもそこに秘書艦の姿は見えなかったが、不安は感じない。
「んっ……」
 伸びをして、それから後ろには振り向かない。前に進めば彼女と会える筈、そう信じて。